坂本乙女 宛
| 原文 |
| 其後ハ御遠々敷奉存候。此頃定而御きづかい被遊候ハんと奉存候。然ニ私共英太郎共皆々ぶじニ出勢仕候。何卒今年中御まち被成候得バ、おもしろきはなし御聞ニ入候。当時ハさつまのやしきおり申候。 このころ将軍家大坂ニ参り、長州を征し候儀もあり候へども、大軍唯むへきに日をついやし候のみニて、何の事もあり不申候。池蔵ハ此頃八度の戦段々軍功もこれあり、此頃長州ニては遊撃軍参謀─はかりごとにあづかる人─と申ものニなり、其勇気ありて諸軍をはげまし候事故、もの見の役をかね一軍四百人の真先ニ進ミて、馬上ニて蔵太がはたひとながれもたセ候事ニて候。惣じて土佐より出候ものハいづくニても皆大将致し又戦ニも一ばんつよく、よくうち死致し候ものおふく、あハれ今、土佐の政をつがふよく致候時ハ、天下ニ横行の国と申され候べく。ざんねんニて候。 |
| 現代文 |
| ご無沙汰しております。いつもお気づかいして頂いていることと思います。それはそうと私は甥の高松太郎共々無事に精を出しております。なにとぞ今年いっぱいお待ちくださればおもしろいお話を耳に入れることが出来そうです。最近は薩摩藩の御屋敷におります。この頃は将軍家は大阪に来ていて、長州を成敗しようとしているけれども、大軍を無用に日を費やすだけで何のこともないです。池内蔵太はこの頃8度の戦で軍功もあり、長州では遊撃軍参謀(はかりごとにあずかる人)になりました。勇気があって諸軍を励まし、物見の役も兼ね、一軍400人の真っ先に進みて、馬上では内蔵太の旗がなびいていました。土佐から出る人物はどこにいても皆大将になり、また戦にも一番強く、討ち死にする者も多いのです。ああ、いま土佐の政治をうまく行いさえすれば、天下に名だたる国だと言えるのにとても残念だ。 |
出典:原文は宮地佐一郎編『龍馬の手紙』(講談社学術文庫)によります。現代文は、運営者がこの原文をもとに独自に訳したもので、解説も運営者が書いています。
この手紙について
姉・乙女へ宛てた近況報告で、甥・高松太郎とともに達者に励んでいること、今年いっぱい待てば面白い話を耳に入れられそうだと、含みのある期待を語っています。近ごろは薩摩藩邸に身を寄せ、将軍が大坂で長州征伐を構えているが空しく日を費やすばかりだと冷静に評し、長州で戦功を重ねる池内蔵太の消息も伝えています。
宛先「坂本乙女」とはどんな人物か

龍馬の姉で、生涯の理解者でした。龍馬は姉宛に、公にできない自分の動きの気配を、それとなくにおわせています。「面白い話」とは、のちの薩長同盟へつながる周旋を指すとも読めます。
この手紙が書かれたころ
薩摩藩の庇護のもと、長崎の亀山社中を拠点に海運と周旋に動いていたころの龍馬です。脱藩浪士でありながら、薩摩という雄藩を後ろ盾に、天下を動かす大仕事へと歩を進めていました。幕府は再び長州を討とうと大軍を催しましたが、諸藩の足並みはそろわず、いたずらに時を費やしていました。倒幕へ向かう薩摩と、征長にこだわる幕府との間で、政局が大きく傾きはじめます。土佐勤王党への弾圧は峠を越え、武市半平太が切腹に追い込まれるなど、党は壊滅しました。藩を離れた龍馬は薩摩と結び、土佐の外で新たな時代の設計に取りかかっていました。
宛名も日付もない手紙を姉宛と見る宮地の推定
この手紙には宛名も年月日も書かれていません。宮地佐一郎編『龍馬の手紙』は宛先・年月日とも未詳としたうえで、慶応元年夏の坂本乙女宛と推定し、「続」の五番目に収めています。本文の「このころ将軍家大坂ニ参り、長州を征し候儀もあり」は、徳川家茂が慶応元年に長州親征をかかげて三度目の上洛を果たし、そのまま大坂城にとどまった動きとよく合います。原本は高知県立歴史民俗資料館の所蔵と注記されています。
池内蔵太の消息のくだりで、龍馬は「遊撃軍参謀」という軍の役名に「はかりごとにあづかる人」と自ら言い添えています。戦の言葉になじみのない姉にも伝わるよう気を配った書きぶりです。宮地は同じく慶応元年夏と推定する池内蔵太宛の手紙も収めており、そちらでは龍馬が池にぜひ会いたいと申し入れています。旗を持たせて四百人の先頭を進む姿を伝える筆には、同郷の友の働きを誇る気持ちがあふれています。
同じころの長州—大村益次郎の軍制改革
長州では 慶応元年(1865)、長州藩は幕府の再征に備え、村医者の出で西洋の兵学に通じた大村益次郎(村田蔵六)を登用して、軍の仕組みを根本から改めました。奇兵隊などの諸隊を整え、最新の施条銃を持たせて、散兵による戦い方を訓練します。この改革が、翌年の四境戦争で幕府軍を退ける力となりました。
龍馬のまわりでは この夏、龍馬は薩摩と長州のあいだを行き来しながら、長州が薩摩の名義で武器を買えるよう段取りを進めていました。乙女への手紙の何気ない言葉の裏で、龍馬は国の行方を左右する仕事に深く入り込んでいたのです。
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