坂本乙女 宛
| 原文 |
| 此状もつて行者ニ、せんの大廻の荷のやり所がしれん言ハれんぞよ。此勇(ママ)(男)のに物ぢやあきに、状が龍馬から来たけんどまちがつたと御いゝ可被下候。先便差出し申候しよふ婦(菖蒲)は皆々あり付申候よし、夫々に物も付申候よし、其荷は赤岡村元作と申候ものゝにて候。此状もちて行くものニて御座候。めしをたいてもらい候者ニて候。誠ニよき者故よろしく御取成可被成下候。大いそぎにて候故、御すいりよふ(推量)/\。此節は○がなく候故いけなく相成申候。私しかへりは今月の末より来初めにて候得共、御国へかへり候はひまどり可申と奉存候。又、明日は千葉へ、常州より無念流の試合斗り申候。今夜竹刀小手のつくらん故、いそがしく御状くは敷事かけ不申候。かしこ/\/\坂本龍 |
| 現代文 |
| 先に江戸~土佐の船便で送った荷物の中に、この手紙を持っていく者の荷物も入っているので間違えないように注意してください。先に送った菖蒲はみな根付いたそうです。またそれぞれ送って頂いた荷物も届きまして、その荷物は赤岡村の元作(人の名前)という人が持ってきてくれました。折り返しこの手紙を持っていく者(赤岡村の元作)のことを書きますね。まず、この者にご飯を炊いて頂きました。本当に感じのよい人なのでねぎらってやって下さい。今は大変急いでおりますのであとはご推察下さいませ。また、今はお金がなくて困ってます。私は今月の末から来月の頭に土佐へ帰りますが、時間がかかると思います。(お金がないので直行便では帰れないと思うと言っている)また、明日は千葉道場へ行き、水戸の無念流との試合があります。今夜は竹刀の手入れがあるので、忙しくて詳しいことは書けません。坂本龍馬 |
出典:原文は宮地佐一郎編『龍馬の手紙』(講談社学術文庫)によります。現代文は、運営者がこの原文をもとに独自に訳したもので、解説も運営者が書いています。
この手紙について
姉・乙女へ宛てた、家族間の荷物のやりとりをめぐる私信です。江戸と土佐を結ぶ船便に託した荷の取り違えに注意を促し、届いた品への礼や、手紙を運んでくれた使いの人(赤岡村の元作)をねぎらってやってほしいと頼んでいます。天下国家ではなく、龍馬の細やかで人情深い一面がよく表れた一通です。
宛先「坂本乙女」とはどんな人物か

龍馬の三歳上の姉で、大柄で武芸にも学問にも秀で「坂本の仁王様」と呼ばれた女性です。早くに母を亡くした龍馬にとって母代わりであり、生涯もっとも心を許した相手でした。龍馬は姉宛にだけは飾らぬ本音を書き送っています。
この手紙が書かれたころ
剣術修行から帰郷したころの龍馬の、平穏な日常の一場面です。まだ脱藩前で、故郷の家族との細やかな暮らしのつながりが続いていた時期の温かさが感じられます。黒船来航後、開国をめぐる幕府と諸藩の対立が深まり、尊皇攘夷の気運が全国に広がりつつありました。表面は静かでも、水面下で時代が大きく動き始めていたころです。土佐では吉田東洋が藩政を主導する一方、下士層のあいだに尊皇の思いが芽生えつつありました。やがて武市半平太を中心とする土佐勤王党が結成される、その前夜の空気が流れていました。
千葉での試合を前に、二度目の江戸修行の終わりに姉へ
この手紙には日付がなく、宮地佐一郎編『龍馬の手紙』は「安政五年七月頃」と推定しています。中央区観光協会の解説によれば、龍馬は安政三年に再び江戸へ出て千葉定吉の道場で修行し、安政五年の正月には定吉から「北辰一刀流長刀兵法」の目録を伝授されています。宮地の推定に従えば、目録を得て半年ほど後の、二度目の江戸修行が終わりに近づいたころの手紙となり、本文にも、今月末から来月初めに発っても国元に着くまでには手間取りそうだという見通しが書かれています。
明日は千葉で常州の無念流との試合があり、今夜は竹刀や籠手の支度で忙しいという結びの部分は、紙の表から裏へ続けて書かれています。宮地の本は写真の所蔵を北海道浦臼町の個人としており、浦臼町郷土史料館は、安政五年に龍馬が姉の乙女へ宛てた直筆の手紙を館の所蔵品として、令和七年七月に期間を限って公開しました。
同じころの日本—安政五年の夏
世の中では 安政五年(1858)六月十九日、大老・井伊直弼は朝廷の許しを待たずに日米修好通商条約に調印しました。これに抗議して江戸城に押しかけた水戸の徳川斉昭や越前の松平慶永(春嶽)は、七月に謹慎を命じられます。七月六日には将軍家定が亡くなり、跡継ぎは紀州の徳川慶福(家茂)に決まりました。この夏、長崎から広がったコレラが江戸でも大流行し、多くの死者を出しています。
土佐では 土佐の藩主・山内容堂は、将軍の跡継ぎに一橋慶喜を推した側に立っていました。そのため井伊直弼ににらまれ、翌年には隠居と謹慎を命じられることになります。江戸遊学を終えて土佐に戻っていた龍馬のもとにも、江戸の騒ぎは手紙や人づてに届いていたはずです。
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