青柳牧太夫【新選組隊士 勘定方 幕末】

青柳牧太夫
職名 勘定方
出身 武州
終焉場所 鳥羽伏見の戦い
終焉方法 戦死

慶応元年5月、江戸にて入隊しました。
鳥羽伏見の戦いで戦死したとも江戸帰還中に船内で死亡したとも伝えられています。

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この隊士について分かっていること

青柳牧太夫について、現在たどれるのは名前と役職までです。当サイトの隊士情報は新選組隊士を網羅した書籍を参照していますが、生没年、出身、隊を離れた事情、その後の消息については、そこにも記載がありません。公開されている他の資料でも確認できませんでした。

「勘定方」はどういう役だったのか

隊の金庫番で、副長の管轄下に置かれた役です。文久三年九月以降は河合耆三郎が務めましたが、その河合は慶応二年、隊費の不足をめぐって切腹させられています。

原因については諸説あり、近藤勇の浪費に苦言を呈したために粛清されたという見方もあります。

なぜ記録が残っていないのか

新選組には、一時的にでも延べ五百名以上が在籍したとされます。一方、同時に在籍したのは最大でも二百三十名ほど。半数以上が短期間で去った計算になります。隊士数が変わるたびに組織表は作り替えられ、前の版は残りませんでした。

くわしくは幕末の新選組、隊士名簿はなぜ食い違うのかにまとめています。

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