望月清平 宛
| 原文 |
| 別紙、乙に送り候書状ハ、養子清次郎を論じて遣候事在之候間、愚兄権平ニハ見せられぬ事お〃く候ま〃、必大兄御母上まで御送り愚兄ニハ小弟より手紙のあねニ達し候ことをしらせぬよふ御母上より御直ニ御達可被遣御願申上候。廿四日朝頓首望月清平様才谷拝机下 |
| 現代文 |
| 別紙、乙女姉さんに送った手紙は養子の清次郎(坂本家養子)に聞かせて下さい。兄権平には見せられないことが多く、必ず大兄(望月清平)の母上に渡し、兄には私から乙女姉さんに送った手紙を知らせないよう母上から直々にお伝え下さい。24日朝望月清平様(土佐藩士)才谷(龍馬変名) |
目次
この手紙について
「乙女姉さんに送った手紙は養子の清次郎に聞かせてほしい。兄の権平には見せられないことが多いので、必ずあなたの母上に渡し、私が姉に手紙を送ったことを兄に知られないよう、母上から直々に伝えてほしい」という、家族内の込み入った気配りを頼む手紙です。二十四日朝の日付。脱藩した龍馬が、実家の兄をはばかりながら姉との連絡を続けていた、家庭内の機微がよく伝わります。
宛先「望月清平」とは
望月清平(もちづき せいへい)は土佐藩士で、龍馬の縁者にあたる人物です。坂本家と親しく、龍馬と家族との連絡を仲立ちしました。文中の「清次郎」は坂本家の養子で、龍馬の甥にあたります。
この手紙が書かれたころの龍馬の境遇
脱藩は一族に累を及ぼしかねない大罪でした。龍馬は家長である兄・権平に気をつかいながらも、心を許す姉・乙女との連絡だけは絶やしませんでした。
幕末全体の動き(幕末期)
脱藩浪士は、家族に迷惑が及ぶ危険と常に隣り合わせでした。連絡ひとつにも、これほどの細心の注意が必要だったのです。
土佐藩の当時の動き
土佐藩は脱藩を厳しく処断し、残された家族の立場も微妙なものでした。龍馬の細やかな気配りは、そうした厳しい現実を映しています。
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

