| 昌光丸 | |||
| 藩名 | 江戸幕府 | ||
| 藩主 | 徳川慶喜 | ||
| 船種 | 輸送船 | ||
| 機関 | 蒸気内輪 | ||
| 備砲 | 0門 | ||
| 材質 | 鉄製 | ||
| 馬力 | 81馬力 | ||
| 写真 | 無 | ||
■ 詳細
1862年英国より購入しました。原名「ナンキン(南京)」。
目次
所属した江戸幕府と、蝦夷地の輸送
この船・昌光丸を運用したのも、江戸幕府です。幕府は広大な蝦夷地(北海道)を直轄支配し、その経営を支えるために船を用いました。
箱館奉行のもと、物資や人員の輸送、沿岸の警備に洋式船が活躍しました。ロシアの南下に備える北辺の守りは、幕末の幕府にとって重い課題でした。昌光丸のような輸送船は、その北の海を行き来したとみられます。のちに舞台となる箱館は五稜郭のページへ。
幕末軍艦一覧リスト
鉄でできた、小さな船でした
木造が当たり前の時代に、この船は鉄製でした。千八百六十二年にイギリスから買ったもので、原名はナンキン、南京の字を当てています。八十一馬力。同じ文久二年、幕府はやはり鉄製の順動丸をイギリスから十五万ドルで買っていますので、鉄の船を続けて手に入れた年ということになります。ただし順動丸が三百六十馬力だったのに対して、昌光丸は八十一馬力です。大砲も積んでいません。同じ鉄の船でも、役目はまるで違いました。
「内輪」が何を指すのかは、分かりませんでした
当ページは機関を蒸気内輪としています。幕末の記録では外車を外輪、内車をスクリューの意味で使い分けることがあった、という指摘もあるのですが、その用語の対応そのものを確かめられる資料には行き当たりませんでした。ここは分からないままにしておきます。
そのあとが、分かりません
戊辰戦争での動きも、明治に入ってからも、記録が見あたりませんでした。幕府海軍の輸送船の一覧に名前があるだけで、そこにも但し書きはありません。原名の南京から、中国沿岸を走っていた船を長崎か横浜で買ったのではないかと考えたくなりますが、それを裏づける資料はありませんでした。同じころに買われた協隣丸の原名が山東であることも合わせると、いかにもそう思わせるのですが、推測は書かないでおきます。

