| 橋詰 啓太郎 | |||
| 出身 | 土佐藩 | ||
| 職名 | |||
橋詰啓太郎は土佐藩出身の海援隊士です。
慶応四年(明治元年)正月、塩飽諸島の本島で小坂騒動が起こりました。この騒動を、高松藩の朝敵追討に来ていた土佐藩士が知ることになります。
ただし海援隊が本島へ入ったのは騒動が収まったあとで、鎮圧にあたったわけではありません。仕事は焼け跡の後始末と占領統治でした。それでも島の人びとは隊士を恩人として神に祀り、その社はいま八島神社と呼ばれています。
この時の土佐藩士は、八木彦三郎、長岡謙吉、石田英吉、島村小右衛、橋詰啓太郎、武田保輔、中村官兵衛、島田源八郎等がおもだった顔ぶれでした。

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