得能 猪熊【海援隊士 幕末亀山社中】

得能 猪熊
出身 不明
職名

龍馬暗殺後に海援隊書記長長岡謙吉の提唱で、慶応3~4年に土佐藩有志によって組織された旧幕領だった塩飽諸島と小豆島東部の占領・治安維持部隊で隊士12名の中の一人です。
この際に17~30歳までの壮丁を狩り集め、一隊を編成したのが梅花隊。

塩飽諸島のほか男木・女木の両島、直島、福田、大部、草加部までその支配下に置きました。隊長・長岡謙吉、以下 八木彦三郎、間崎専吉、得能猪熊、橋詰啓太郎、堀謙吉、島崎金吾、島田源八郎、岡崎恭輔、島村虎豹、武田保輔ら120名。島々は明治元年五月から七月にかけて倉敷県へ移管され、土佐藩兵は撤退しました。現地で編成された梅花隊はその後も残り、明治三年七月に解隊しています。

得能 猪熊【海援隊士 幕末亀山社中】

このページに、十二人の顔ぶれが並んでいます

当サイトの海援隊士のページには「同志十二人の中の一人」という書き方が何度か出てきますが、その十二人が誰かを並べているのは、この記事です。隊長の長岡謙吉、以下、八木彦三郎、間崎 専吉、得能猪熊、橋詰 啓太郎、堀謙吉、島崎金吾、島田 源八郎、岡崎恭輔、島村虎豹、武田 保輔。この顔ぶれを外部の資料で確かめることはできませんでしたので、当サイトに伝わる名簿として読んでいただくのが安全です。讃岐へ渡った海援隊の規模については、別に「総勢三十人ノ将卒」という記述もあり、数え方は一つではありません。

押さえた島々

この記事が挙げる支配の範囲は、塩飽諸島のほかに男木島と女木島、直島、そして小豆島の福田、大部、草加部です。瀬戸内の東半分にあたる島々を、海援隊が数か月のあいだ預かったことになります。島々は明治元年の五月から七月にかけて倉敷県へ移され、土佐藩の兵は引き揚げました。現地で編んだ梅花隊だけがそのあとも残り、明治三年七月に解かれています。

得能猪熊その人については、分かりません

生まれた年も、亡くなった年も、出身も、そのあとどうなったのかもわかっていません。広く引かれる海援隊の隊士一覧にも、隊士の出自を調べた研究の表にも、この名はありません。

目次

得能猪熊の生きた時代—慶応四年の土佐藩

土佐藩の戊辰戦争 海援隊が塩飽に入った慶応四年(1868)の正月、土佐藩は大きな決断をしていました。鳥羽伏見の戦いでは、前藩主の山内容堂は当初、藩兵が戦いに加わることを禁じていましたが、現場の藩士たちは薩長とともに戦い、藩はそのまま新政府側に立つことになります。

西日本の鎮撫 新政府側についた土佐藩は、旧幕府側とされた讃岐の高松藩や伊予の松山藩に兵を送り、城を受け取りました。塩飽諸島への海援隊の派遣も、こうした西日本の鎮撫の動きの一つでした。土佐藩は東では板垣退助の迅衝隊を送り、西では瀬戸内の治安を担ったのです。

参考資料:Wikipedia日本語版「海援隊」「亀山社中」、高知県立坂本龍馬記念館・長崎市亀山社中記念館の公開資料ほか。複数の資料を読み比べ、運営者の言葉でまとめています。

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「十二人」の名簿と「十三人」の辞令を比べると

上に挙げた十二人の顔ぶれと並べて読んでほしい文書が、その後見つかりました。慶応四年四月十二日、土佐藩が長岡 謙吉へ讃岐の島々の統治を命じた辞令で、そこに十三人の名が並んでいます。八木彦三郎、波多彦太郎、勝間圭三郎、岡崎恭介、桂井隼太、橋詰啓太郎、島橋謙吾、武田保輔、得能猪熊、島田源八朗、島村要、堀兼司、長岡謙次郎。くわしくは桂井 隼太のページに書きました。

重なる名と、ずれる名

二つを突き合わせると、八木彦三郎、得能猪熊、橋詰啓太郎、島田源八郎、武田保輔はどちらにも出てきます。ところが字の違う名がいくつもあって、十二人の側の「堀謙吉」は辞令では「堀兼司」、「島崎金吾」は「島橋謙吾」、「岡崎恭輔」は「岡崎恭介」、「島村虎豹」は「島村要」になっています。音が近いものが多いので、書き写すうちに字が入れ替わったのだろうと思われます。また十二人の側にいる間崎 専吉は辞令に名がなく、辞令の側にいる波多彦太郎、勝間圭三郎、桂井隼太、長岡謙次郎は十二人の側にいません。隊長を長岡謙吉とするか、辞令の受け取り手として外に置くかでも数が一つずれます。

公の文書のほうが、確かです

どちらを採るかといえば、藩が出した辞令のほうが確かです。十二人の名簿は出どころを外の資料で確認できませんが、辞令は研究者が藩の史料から引いたものです。ただ、十二人の名簿がまったくの作り話というわけでもなさそうで、重なる名が半分あり、ずれる名も音が近いことから、同じ集団を別の経路で書き留めたものとみるのが自然でしょう。得能猪熊その人は、どちらにも名のある一人です。

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