【藩名】
高浜藩
【説明】
若狭国に置かれた藩は、江戸時代を通じて小浜藩ただ一つです。「高浜藩」という藩は存在しません。ここは高浜城の城下であり、幕末には小浜藩の領地だった土地です。
目次
若狭武田氏の被官が築いた海城
高浜城を築いたのは、若狭武田氏の被官だった逸見昌経です。日本海に突き出た岬の先端に構えられた、海に面した城でした。
昌経の死後、城は織田信長に召し上げられ、のちに溝口氏が入ります。関ヶ原ののち若狭一国は京極高次に与えられ、寛永十一年(1634年)からは酒井忠勝の小浜藩となって、そのまま幕末まで続きました。
藩が一つしかない国、という条件
一国に藩が一つというのは、幕末を考えるうえで意味があります。若狭には、藩論が割れる相手がいませんでした。福井藩と鯖江藩と大野藩が入り組んだ越前とは、事情がまるで違います。
そのぶん小浜藩の背負った荷は重かったです。若狭湾は京へ塩と魚を運ぶ鯖街道の入口であり、同時に日本海に開いた海防の最前線でもあります。異国船の出没が伝えられるようになると、藩は長い海岸線をひとつで守らねばならませんでした。高浜もその海岸線の一部です。
いまの高浜
城跡は城山公園として整備されています。岬の先には明鏡洞と呼ばれる海食洞があり、洞の向こうに水平線が切り取られて見えます。城がここに築かれた理由——海がよく見える——が、立ってみるとそのまま分かる場所です。
【場所・アクセス・地図】

