幕末に旧幕府側が用いたフランス製のシャスポー銃は、後装式のニードルガンとして知られています。しかし、その後装ニードル銃の“元祖”ともいえる銃が、ドイツのプロイセンにありました。「ドライゼ銃」です。世界に先がけて後装式を実用化したこの銃は、ヨーロッパの戦争で圧倒的な強さを見せ、各国に後装銃への転換を促しました。幕末の日本と直接の関わりは薄いものの、時代の潮流を知るうえで欠かせない一挺です。

ドライゼ銃とは——世界初の実用後装ニードルガン
ドライゼ銃は、プロイセンの銃工ドライゼが開発し、1841年に採用された後装式のライフル銃です。手元のボルト(遊底)を操作して弾を後方から込める仕組みで、紙製の薬莢を用いました。発火は、細長い撃針(ニードル)が薬莢を貫いて内部の雷管を突く方式で、この特徴から「ニードルガン(針銃)」と呼ばれます。前装式が当たり前だった時代に、いち早く後装式を実用化した画期的な銃でした。
画期性——伏せたまま速く撃てる
後装式であることは、実戦で大きな利点を生みました。前装銃は、弾を銃口から込めるために立ち上がる必要がありましたが、後装式のドライゼ銃なら、地面に伏せた姿勢のまま装填できます。身を隠しながら、しかも速く撃てる——この差は、銃撃戦において決定的でした。装填のたびに立ち上がって的になる前装銃の兵に対し、伏せて撃ち続けられる後装銃の兵は、はるかに有利だったのです。
普墺戦争での圧勝
ドライゼ銃の実力が世界に知れ渡ったのが、1866年の普墺戦争(プロイセン対オーストリア)でした。前装銃を主力とするオーストリア軍に対し、後装式ドライゼ銃を装備したプロイセン軍は、速射性で圧倒します。この結果は、各国に「これからは後装銃の時代だ」と痛感させ、世界的な後装銃への転換を加速させました。
ドライゼ銃 スペック(性能一覧)
| 種別 | 後装式・単発ライフル(ボルトアクション/ニードル式) |
|---|---|
| 装填方式 | 元込め(後装式) |
| 発火方式 | 撃針(ニードル)式 |
| 弾薬 | 紙製薬莢 |
| 採用 | 1841年・プロイセン |
| 位置づけ | 世界初の実用後装ニードル銃 |
幕末の日本との関わり
ドライゼ銃そのものが、幕末の日本で広く使われたわけではありません。しかし、この銃が切り開いた「後装ニードル銃」という潮流は、フランスのシャスポー銃へと受け継がれ、そのシャスポー銃は幕末の旧幕府側で用いられました。つまりドライゼ銃は、幕末に日本へ入ってきた最新兵器の“源流”にあたる存在なのです。世界の兵器の進化と、日本の幕末が地続きだったことを教えてくれます。
まとめ
ドライゼ銃は、プロイセンが1841年に採用した世界初の実用後装ニードルガンで、伏せたまま速く撃てる後装式の利点によって普墺戦争で圧勝し、世界を後装銃の時代へと導きました。幕末の日本で使われたシャスポー銃の源流にあたる銃でもあります。ほかの火器は銃器の一覧もご覧ください。

