2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)は、幕末の幕臣・小栗忠順が主人公です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

和宮(かずのみや)は、仁孝天皇の皇女で、孝明天皇の異母妹にあたります。幼いころから有栖川宮熾仁親王と婚約していましたが、朝廷と幕府の結びつきを強める「公武合体」のため、婚約を解かれて十四代将軍・徳川家茂に嫁ぎました。
家茂の死後は静寛院宮と称し、戊辰戦争では朝廷の側に徳川家の存続を嘆願しました。大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、夫の家茂を神尾楓珠さん、兄の孝明天皇を眞栄田郷敦さんが演じます。
和宮の大河『逆賊の幕臣』での配役は、2026年10月24日の時点ではまだ発表されていません。発表があり次第、この記事に追記します。
和宮とは?—先に答え
| 読み方 | かずのみや(親子内親王〈ちかこ ないしんのう〉。のち静寛院宮) |
|---|---|
| 生没 | 弘化三年閏五月十日(1846年7月3日)〜明治十年(1877年)九月二日。満三十一歳 |
| 生まれ | 京都。仁孝天皇の第八皇女で、孝明天皇の異母妹 |
| 何をした人 | 公武合体のため十四代将軍・徳川家茂に嫁ぎました。家茂の死後は静寛院宮と称し、戊辰戦争では朝廷に徳川家の存続を嘆願しました |
| 小栗との接点 | 直接の接点は知られていません。和宮の降嫁が決まったのは、小栗が遣米使節から帰国した万延元年のことでした |
| 最期 | 明治十年、箱根の塔ノ沢で脚気のため亡くなりました。墓は増上寺、家茂の隣です |
有栖川宮との婚約
和宮は、父・仁孝天皇が亡くなった後に生まれた皇女です。嘉永四年(1851年)、数え六歳で有栖川宮熾仁親王と婚約しました。
公武合体—家茂への降嫁
安政五年(1858年)、幕府は勅許のないまま日米修好通商条約に調印し、朝廷との関係は大きくこじれました。桜田門外の変で大老・井伊直弼が倒れたのち、幕府は朝廷との関係を修復するため、天皇の妹を将軍の正室に迎える「公武合体」を考えます。白羽の矢が立ったのが和宮でした。
和宮も兄の孝明天皇も、はじめは強く拒みました。しかし幕府が「十年以内に攘夷を実行する」と約束したことなどから、孝明天皇は降嫁を認めます。万延元年(1860年)のことでした。和宮は、条件として御所の作法を江戸城でも守ることを求めたといわれます。
文久元年(1861年)十月、和宮は中山道を通って江戸へ向かいました。大行列の警護には多くの藩が動員され、沿道の宿場は大変な負担を強いられました。翌文久二年(1862年)二月、江戸城で家茂との婚儀が行われます。同じ年の正月には、降嫁を進めた老中・安藤信正が坂下門外で襲われていました。この事件は坂下門外の変とはで詳しく扱っています。
家茂との暮らし
政略結婚でありながら、家茂と和宮の仲は睦まじかったと伝えられます。家茂が上洛する際には無事を祈り、家茂も旅先から和宮に土産を送ったといわれます。家茂については神尾楓珠さんが演じる徳川家茂とは何をした人物かをご覧ください。
しかし慶応二年(1866年)七月、家茂は第二次長州征討のさなか、大坂城で数え二十一歳の若さで亡くなりました。和宮は出家して静寛院宮と称します。同じ年の暮れには、兄の孝明天皇も亡くなっています。
戊辰戦争—朝廷への嘆願
慶応四年(1868年)、鳥羽伏見の戦いに敗れた徳川慶喜が江戸に戻ると、静寛院宮は朝廷の側に、徳川家の存続と慶喜の寛大な処分を願う嘆願を重ねました。新政府の東征軍を率いる大総督は、かつての婚約者・有栖川宮熾仁親王でした。
実家の薩摩に手紙を送った天璋院とともに、二人の女性は、それぞれの実家の側に徳川家の助命を訴えたことになります。こうした働きかけは、江戸無血開城に向けた流れを支えるものの一つになりました。天璋院については天璋院(篤姫)とは何をした人物か—島津斉彬の養女から十三代将軍家定の御台所へ。江戸城を去るまで徳川家を守った女性をご覧ください。
晩年と増上寺の墓
明治維新後、和宮はいったん京都に戻りましたが、明治七年(1874年)に東京へ移り住みました。明治十年(1877年)、脚気の療養のために訪れていた箱根の塔ノ沢で亡くなります。満三十一歳でした。
遺言により、和宮は芝の増上寺に、夫・家茂の隣に葬られました。昭和に行われた徳川家墓所の発掘調査では、和宮の棺から一枚の写真乾板が見つかったことが知られています。増上寺については【現地取材】増上寺を歩くで現地の写真とともに紹介しています。
大河『逆賊の幕臣』と和宮
夫の家茂、兄の孝明天皇がすでに発表されていることから、和宮が登場する可能性は高いと考えられます。ただし、これは推測です。2026年10月24日の時点で配役は発表されていません。
和宮のゆかりの地
- 増上寺の徳川将軍家墓所(東京都港区)。家茂の隣に眠っています
- 和宮ゆかりの中山道の宿場(長野県の木曽路など)
- 阿弥陀寺(神奈川県箱根町塔之沢)。和宮の位牌がまつられています
小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
- 【現地取材】小栗上野介ゆかりの地を1日でめぐる|築地・雑司ヶ谷・大宮・倉渕の回り方とモデルコース、ゆかりの地一覧(回る順番と移動時間、エリア別の一覧)
- 【現地取材】小栗上野介の生まれた場所はどこ?生誕地・神田駿河台の小栗家屋敷跡と横須賀のゆかりの地(ヴェルニー公園の胸像と、烏川の河原から運ばれた記念石。神田駿河台の生誕地)
- 小栗上野介ゆかりの地 ― 東京・横須賀・埼玉・群馬をたどる(まとめ)
- 倉渕・東善寺をめぐるモデルコース(都内発・車で1泊2日。墓所の東善寺、最期の地、普門院の首塚)
- 横須賀の日帰りコース(都内発。軍港めぐりで、小栗が始めた造船所を海から見られます)
倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。
泊まりがけで回るなら、宿は高崎駅の周辺か、倉渕から車で40〜50分ほどの伊香保温泉が便利です。横須賀は横須賀中央駅のまわりに宿が集まっています。空き室はじゃらんnet(高崎駅周辺・伊香保温泉・横須賀中央)で探せます(PR)。
小栗忠順をもっと知る本
記事の内容をもっと知りたい方に、小栗忠順を扱った本を紹介します。
※この欄の商品リンクはアフィリエイトリンク(PR)です。価格は掲載時点のものです。
▶ 小栗忠順のゆかりの地を歩く(現地取材)
- 【現地取材】小栗上野介はどこで生まれたか—生誕地・神田駿河台と、横須賀のゆかりの地を歩く
- 【現地取材】東善寺と小栗上野介の墓 ― 首を取り返した村、雨の権田を歩く
- 【現地取材】小栗上野介をしのぶ四つの場所—権田の本墓、大宮の首塚、雑司ヶ谷の累代墓、横須賀の胸像
- ヴェルニー公園で無料で入れる二つの施設—ヴェルニー記念館とティボディエ邸
- 【現地取材】増上寺を歩く—十四代将軍家茂と和宮が並んで眠る、徳川将軍家の菩提寺
- 【現地取材】勝海舟記念館と洗足池—「富士を見ながら土に入りたい」と願った海舟の別邸跡
- 【現地取材】飯田城を歩く—安政六年の石碑に、小栗忠順の師が文を寄せていた
- 【現地取材】幕府の最高学府・昌平坂学問所を歩く—湯島聖堂と孔子像
- 【現地取材】彦根城を歩く—井伊直弼の十五年と、赤備えが官軍になった日
- 【現地取材】水戸・常磐共有墓地を歩く—桜田門外の実行隊長と、討たれた井伊直弼の霊塚
- 【現地取材】佐倉城と堀田正睦を歩く—「老中の城」に立つ、開国に敗れた宰相と義民の里
▶ あわせて読みたい—和宮と同じ時代の人々
- 神尾楓珠さんが演じる徳川家茂とは何をした人物か—十三歳で将軍、和宮と結ばれ、二十一歳で大坂城に没した十四代
- 眞栄田郷敦さんが演じる孝明天皇とは何をした人物か—条約に判を押さなかった帝、和宮降嫁と攘夷、数え三十六歳の急死
- 天璋院(篤姫)とは何をした人物か—島津斉彬の養女から十三代将軍家定の御台所へ。江戸城を去るまで徳川家を守った女性
- 坂下門外の変とは—老中・安藤信正はなぜ襲われたのか。和宮降嫁と、背中の傷が招いた失脚
- 【現地取材】増上寺を歩く|十四代将軍家茂と和宮が並んで眠る、徳川将軍家の菩提寺
- 桜田門外の変とは—大老・井伊直弼はなぜ雪の朝に討たれたのか。襲撃の一部始終と、幕府が受けた衝撃
- 江戸城無血開城とは—勝海舟と西郷隆盛の会談、山岡鉄舟の使者、パークスの横やり。小栗忠順が退けられた先の結末
- 小栗忠順(おぐり ただまさ/小栗上野介)とは何をした人?—大河で松坂桃李さんが演じる主人公、横須賀を作り罪なくして斬られた幕臣
参考資料
武部敏夫『和宮』(吉川弘文館)、増上寺の徳川将軍家墓所案内、鈴木尚『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』、コトバンク「和宮」。



