万年自鳴鐘とは何がすごいのか—嘉永四年の和時計、六面の文字盤と天球儀をひとつのぜんまいで動かす

行灯のあかりの下で六角柱の和時計に向かう江戸時代の職人(イメージイラスト)

万年自鳴鐘(まんねんじめいしょう)は、嘉永四年に田中久重が作り上げた置き時計です。六角柱の各面に六つの文字盤が並び、天頂には天球儀が載っています。和時計も洋時計も、二十四節気も曜日も十干十二支も月の満ち欠けも、そして京都から見た日と月の動きも、ひとつのぜんまいで連動して動きます。平成十八年に国の重要文化財に指定されました。

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嘉永四年、京都で作られました

作ったのは田中久重です。寛政十一年に筑後久留米の城下町で、鼈甲細工師の家に生まれました。からくり人形の興行で名を上げ、天保のころに大坂へ出て、のちに京都へ移ります。弘化四年には「近江大掾」の称号を受けました。

万年自鳴鐘が完成したのは、その京都にいた嘉永四年です。ペリーが浦賀へ来る二年前にあたります。大きさは、国立科学博物館が高さ約五十七センチと説明し、東芝の資料は置台を除いて約六十センチ、重さ約三十八キロとしています。外装には螺鈿、七宝、蒔絵、彫金が施されています。父が鼈甲細工師だったことと、無縁ではないのでしょう。

六つの文字盤と、天頂の天球儀

六角柱の各面に、それぞれ別の役目を持つ文字盤があります。

  • 自動割駒式の和時計。不定時法で時を示し、中心の針が二十四節気を指します
  • 二十四節気の盤
  • 七曜と、時を知らせる鐘の数を示す盤
  • 十干十二支の日付盤
  • 月の満ち欠けを示す月齢盤
  • 洋時計

そして天頂に天球儀が載り、京都から見た太陽と月の運行を再現します。「七つの機能」と紹介されることがありますが、正確には六つの表示盤と天球儀を合わせた数え方です。

いちばんの難所は、季節で長さの変わる時間でした

江戸時代の日本は不定時法を使っていました。日の出と日の入りを基準にして、昼を六つ、夜を六つに割る数え方です。昼と夜の長さは季節で変わりますから、一刻の長さも夏と冬で違ってきます。夏の昼の一刻は長く、冬の昼の一刻は短い。

この国の時計職人は、文字盤の目盛りを動かせるようにして対応していました。「割駒」と呼ばれる駒を、節気が変わるたびに人の手でずらすのです。手間がかかるうえ、ずらし忘れれば時計は狂います。

久重は、これを機械にやらせました。「虫歯車」と呼ばれる、歯の間隔が不揃いな変形歯車です。一年に一回転する軸に取り付けた部分歯車が虫歯車を往復させ、季節に応じて割駒がひとりでに移動していきます。人が触らなくても、夏には夏の目盛り、冬には冬の目盛りになる。和時計の歴史のなかで、ここがいちばんの飛躍でした。

洋時計の中身は、フランス製の懐中時計でした

六面のうち洋時計の面には、輸入されたフランス製の懐中時計が組み込まれています。これが全体の基準となる時計で、ここから各面へ時が配られていきます。この事実が確かめられたのは、平成に入ってからの分解調査でのことでした。

舶来の精密品をそのまま心臓部に据え、その周囲に日本の暦と時法のための機構を自分で組み上げる。外から来たものを拒まず、必要なところだけ使う。幕末の技術者の構えが、この一点によく表れています。

一度巻くとどれだけ動くのか、数字が揃っていません

「ぜんまいを一度巻けば一年動く」と紹介されることが多い時計です。ただ、資料によって数字が違います。

  • 東芝の広報資料、日本機械学会の機械遺産の解説、久留米市の資料は、いずれも約一年としています
  • 東芝の技術論文「万年時計の機構解明」は、ぜんまいを最大六回巻いて約二百二十五日という数字を出しています
  • 東芝未来科学館の解説は、設計のうえでは一年でも、木の枠の耐久性を考えると実際の稼働は七十五日ほどだったとみられる、としています

同じ会社のなかでも、広報と技術部門で数字が違うわけです。一年という数字を見かけたときは、設計上の値だと受け取っておくのがよさそうです。

ぜんまいは黄銅製で四個。二個一組が二組あり、一組は天球儀と時刻の表示に、もう一組は鐘を打つために使われます。部品はおよそ五百六十点です。

平成に、一度ばらされました

平成十六年三月、国立科学博物館と東芝が共同研究で合意し、万年自鳴鐘の分解調査が始まりました。文部科学省の科学研究費による「江戸のモノづくり」という枠組みのなかの仕事で、国立科学博物館の鈴木一義氏が中心になっています。

平成十七年三月八日、復元品の起動式が行われました。同じ年の愛知万博のパビリオン「グローバル・ハウス」で展示するためです。

ばらしてみて分かったことがいくつかあります。久重は明六つと暮六つを、実際の日の出・日の入りから少しずらした時刻として設定していました。また月齢を示す面は、過去の修理のときに歯車が誤って組み付けられたらしいと推測されています。百五十年のあいだに、人の手が入っていたわけです。

国の重要文化財になったのは平成十八年です

文化財としての名称は「万年自鳴鐘〈田中久重作〉」、種別は歴史資料、員数は一基。指定は平成十八年六月九日です。所有者は株式会社東芝で、所在地は国立科学博物館になっています。翌平成十九年には、日本機械学会の機械遺産第二十二号にも認定されました。

作った人は、このあと佐賀藩へ招かれます

万年自鳴鐘ができた二年後、久重は佐賀藩に招かれ、精煉方という技術部門に入ります。そこで蒸気機関を研究し、慶応元年には凌風丸の建造に関わりました。時計を作っていた人が、幕末の軍事技術のまんなかへ歩いていくことになります。その生涯は「田中久重とは何をした人物か」で追いました。

どこで見られるか

現物は東芝が所有し、国立科学博物館に寄託されています。ただし常設展示には入れ替えがありますから、見に行く前に同館で展示の有無を確かめてください。

平成十七年の復元品は、愛知万博のあと東芝未来科学館で展示されていました。ただ同館は令和六年六月に一般公開を終えています。いまは一般の見学はできません。

あわせて読みたい

参考にした資料

  • 文化庁 文化遺産オンライン「万年自鳴鐘〈田中久重作〉」
  • 日本機械学会 機械遺産 第二十二号「万年自鳴鐘」、および同学会誌の解説
  • 東芝レビュー「万年時計の機構解明」(平成十七年)
  • 株式会社東芝 報道発表(平成十七年三月、平成十八年三月)
  • 国立科学博物館 理工電子資料館
  • 久留米市 文化財収蔵館・市史編さん資料
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