佐佐木高行 宛
| 原文 |
| 先、西郷、大久保越中の事、戦争中にもかたほにか〃り一向忘れ不申、若しや戦死をとげ候とも、上許両人の自手にて唯一度の香花をたむけくれ候得バ、必ず成仏致し候こと既に決論の処なり。然るに唯今にも引取り可申とて糞をくらへと鎮台に攻かけ居り候。何とぞ今少し々と待つてたべと申来り候間、例の座敷をことはり候て、皆はねかえり足を空にして昼寝をし居申候。何は兎もあれ他人は他人にして置き、西郷、越中守殿の方へは、必ずや御使者御頼み申上候。是が来らぬと聞けば、小弟に限りなげき死に可申候。其心中返すゞも深く御察し可被遣候。かしこ。佐々木将軍陣下龍 |
| 現代文 |
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まず、西郷と大久保越中のことは、戦の最中にも片時も心にかかって、少しも忘れません。もしも戦死を遂げても、このお二人が手ずから一度だけでも香と花を手向けてくれれば、必ず成仏できるというのは、すでに決まった結論です。 ところが(相手は)いまにも引き揚げると言うので、「糞をくらえ」と鎮台に攻めかかっています。「どうかもう少し待ってください」と言ってきたので、例の座敷を断り、皆ひっくり返って足を宙に上げ、昼寝をしています。 何はともあれ、ほかの人はほかの人として、西郷・越中守殿のほうへは、必ずお使いを出していただくようお願いします。これが来ないと聞けば、私はきっと嘆き死にするでしょう。その心中を、くれぐれも深くお察しください。かしこ。 龍 佐々木将軍(佐佐木高行:土佐藩士)陣下 ※酒宴を合戦にたとえた戯れ文です。「西郷」「大久保越中」も、宴に来てほしい相手を戯れにこう呼んだものとみられ、西郷隆盛や大久保一翁本人を指すとは考えにくく、誰のことかははっきりしません。「鎮台」も戯れの言い方と考えられます。 |
出典:原文は宮地佐一郎編『龍馬の手紙』(講談社学術文庫)によります。現代文は、運営者がこの原文をもとに独自に訳したもので、解説も運営者が書いています。
この手紙について
土佐藩士・佐佐木高行へ宛てた、戯れの色濃い手紙です。「西郷」「大久保越中」と呼ぶ相手への思いを大仰に述べたかと思えば、宴席の座敷を断って皆をはねつけたいなどと軽口をたたき、酒宴のやりとりを戦さになぞらえて面白おかしく描いています。深刻な政局のただ中にありながら、笑いを忘れぬ龍馬の人柄がよく表れた一通です。
宛先「佐佐木高行」とはどんな人物か

土佐藩士で、のちの明治政府の重鎮です。大政奉還を推し進めた同志であり、龍馬と酒席で戯れ合うほど気の置けない間柄でした。
この手紙が書かれたころ
大政奉還への工作を進めながらも、同志との交わりを心から楽しんでいたころの龍馬です。命を賭けた活動の緊張を、こうした笑いで解きほぐしていました。倒幕へ向けて政局が張りつめるなか、志士たちは寸暇を惜しんで動いていました。緊張と弛緩を織り交ぜながら、彼らは大きな転換の時を待っていました。大政奉還へ動く土佐藩の要人たちと、龍馬は公私ともに深く結びついていました。その親密な交わりが、藩を挙げた大仕事を陰で支えていました。
「佐々木将軍陣下」と宛てた長崎の戯れ文
この手紙には日付がなく、宮地佐一郎は慶応三年八月下旬のものと推定しています。宮地の本では前後に佐佐木高行あての手紙がまとまって並び、八月二十五日付では船の士官や水夫頭への謝礼金、西洋服の手配を相談し、翌二十六日付では木戸孝允から届いた書面を佐佐木に見せています。高知市の歴史連載によると、同じ年の八月二十日に佐佐木は龍馬の紹介で、長崎に来ていた桂小五郎と会見しました。
九月初旬と推定される手紙では、宴席の芸妓たちを「女軍」、仲間を兵に見立てて佐佐木を誘い出す文面が続き、宛名も「佐々木大将軍」となります。本状の「戦争中」「戦死」「鎮台に攻かけ」も、同じ趣向の言葉遊びと読めます。高知市の連載は、八月二十五日から九月十八日にかけて「佐々木先生」「佐々木大将軍」などの宛名で手紙が送られたことを伝えています。原本は野島寅猪文書として伝わると宮地は記しています。
同じころの土佐—アーネスト・サトウの土佐行き
イギリス側の動き 慶応三年(1867)八月、イカルス号事件の談判のために土佐の須崎を訪れたパークスには、通訳のアーネスト・サトウが同行していました。サトウはその後も土佐藩の人々と行き来し、後藤象二郎の人柄や考えに強い印象を受けたことを日記に書き残しています。英国は、この事件をきっかけに土佐藩の実力者たちと直接つながりを持つようになりました。
宛名の佐佐木高行 佐佐木はこのとき土佐藩の大目付として英国側との交渉にあたり、そのまま長崎へ向かって龍馬とともに取り調べに臨みました。英国との対立が、かえって土佐藩と英国を近づけることになったのです。
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