伊藤助太夫 宛
| 原文 |
| 玄道先生唯今御入来相成候、依而雅兄早々御出被下ず候てハ、天下の儀論初りかね申候。何卒御足おす〃めさせたまへと申すハ十六日龍馬伊藤先生坂本足下 |
| 現代文 |
| 森玄道先生がただいま到着しましたので、伊藤先生もお早めにおいで下さい。天下の議論が始まります。何卒お急ぎください。16日龍馬伊藤先生坂本 |
目次
この手紙について
「森玄道先生が到着したので、伊藤先生も早く来てほしい。天下の議論が始まる」と、時局を論じる会合への参加を急かす短信です。日付は「十六日」のみで年は不明ですが、龍馬が下関で政局を語り合っていた慶応年間のものとみられます。単なる雑談ではなく「天下の議論」と記すあたりに、時代の緊張感がにじみます。
宛先「伊藤助太夫」とは
伊藤助太夫は下関の豪商・船問屋で、龍馬に宿と資金を提供した有力な支援者です。妻お龍をあずかったことでも知られ、龍馬の下関での活動を物心両面で支えました。時局を語る場にも同席する、単なる商人にとどまらない存在でした。
この手紙が書かれたころの龍馬の境遇
下関を拠点に、諸藩の志士や協力者と頻繁に会し、情勢を論じていた時期です。人を集めて「天下」を語ることが、龍馬の日常の一部になっていました。
幕末全体の動き(慶応年間)
薩長同盟の成立を機に、倒幕へ向けた議論が各地で熱を帯びていました。下関はその西国側の中心のひとつでした。
土佐藩の当時の動き
土佐藩は公議政体論を掲げ、武力倒幕とは異なる道を探っていました。龍馬の議論の場には、そうした土佐の立場も反映されていたと考えられます。
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

