| 武田観柳斎 | |||
| 職名 | 五番隊隊長 | ||
| 出身 | 出雲 | ||
| 終焉場所 | 京都 | ||
| 終焉方法 | 暗殺 | ||
軍学に通じていた為近藤に重用され、5番隊隊長に任命されます。
しかし、伊東甲子太郎一派の台頭とともに軽んじられついに除隊処分となります。
その後薩摩藩と親密になり、斎藤一に斬られました。
口舌が悪く評判が悪かったと言われています。
目次
甲州流軍学を説いた五番隊組長
武田観柳斎は、甲州流軍学を修めた軍学者で、その知識を買われて新選組に迎えられ、五番隊組長を務めました。西洋式の兵制が広まる以前、隊の軍事教練や部隊運用の面で一定の役割を果たしたとされます。
時代に取り残された最期
しかし、やがて戦いの主役が刀槍から銃砲へと移り、西洋式の軍事が主流になると、旧来の軍学者であった武田の立場はしだいに失われていきます。隊内で孤立し、行状をめぐる疑いも重なって、最後は新選組によって粛清されたと伝えられます。時代の急激な変化に取り残された、幕末の一つの縮図ともいえる人物です。

