第一丁卯【長州藩 スクーナー級 幕末軍艦】

第一丁卯
藩名 長州藩
藩主 毛利慶親
船種 スクーナー級
機関 蒸気内車
備砲 4門
材質 木製
馬力 60馬力
写真 絵図
第一丁卯
第一丁卯の姿(明治28年刊『大日本帝国海軍帖』より)(パブリックドメイン/Wikimedia Commons)

長州藩の発注した三檣スクーナー型木造汽船です。建造時の仮称は「ヒンダ(Hinda)」と称しており、イギリスのロンドンで建造されました。慶応四年(1868年)一月に長州藩が購入し、当初の艦名は「丁卯丸」と呼ばれました。

同慶応四年(1868年)三月に明治新政府が徴発し、同年五月の寺泊沖海戦で旧幕府輸送艦「順動丸」を自沈に追い込みました。翌年の箱館戦争にも参加しました。明治三年(1870年)に明治政府に献納され、同年五月八日に兵部省所管となり「第一丁卯艦」と改名されました。

目次

所属した長州藩と、伊藤博文

この軍艦・第一丁卯丸を運用したのも、長州藩(毛利家)です。松下村塾からは、のちに日本の初代内閣総理大臣となる人物も出ています。

長州藩が持っていた艦船

一隻だけを見ていると、その藩が海にどれだけ力を入れていたかは分かりません。当サイトで扱っている長州藩の艦船は十一隻で、内訳は輸送船が三隻、砲艦・軍艦が三隻、帆船が五隻です。

目を引くのは、蒸気船ではなく帆船が中心だという点です。蒸気船は高く、燃料と機関の手当ても要ります。帆で動く船を揃えるところから始めた藩も、少なくありませんでした。

伊藤博文です。身分の低い出ながら松陰に学び、井上馨らとともにひそかにイギリスへ密航して西洋を実見しました。四国艦隊下関砲撃の危機では、急ぎ帰国して和平に奔走します。維新後は憲法制定を主導し、初代総理大臣に就任しました。第一丁卯丸は、そうした人材を輩出した長州の一隻です。

幕末軍艦一覧リスト

丁卯丸のページと、同じ船です

当サイトには丁卯丸のページがあり、同じ一隻を扱っています。仮の名がヒンダであること、慶応四年正月に長州藩が買ったこと、明治三年五月八日に兵部省の所管となったことが、両方で一致します。箱館戦争での働きは丁卯丸のページに詳しく書かれていますので、こちらでは買うまでの経緯を記しておきます。

この船は、四境戦争に間に合っていません

丁卯という名から慶応三年の丁卯の年が思い浮かびますが、この船が日本へ着いたのは慶応四年の正月です。慶応二年の四境戦争にも、慶応三年の出来事にも間に合っていません。長州藩はこの二隻を買うにあたって、すでに持っていた第二丙寅を十五万ドルで下取りに出し、丁卯二隻を二十五万ドルで注文しました。話をまとめた高杉晋作は慶応三年四月に、仲立ちをした坂本龍馬は同じ年の十一月に世を去っており、二人とも船の着くのを見ていません。

そのあと

明治四年の暮れから翌年にかけては、のちに日露戦争で連合艦隊を率いる伊東祐亨が大尉として艦長をつとめました。そして明治八年八月九日、濃い霧のなかで択捉島の西の岬に乗り上げて壊れています。なお排水量を百二十五トンとする資料が多いのですが、船の寸法と釣り合わないという指摘もあります。

同じ名前の船について

幕末の船は売り買いで持ち主が変わることが多く、同じ名前が別の船に付けられることもありました。当サイトには、第一丁卯と同じ(または近い)名前の船のページがほかにもあります。

  • 丁卯丸(長州藩・スクーナー級・蒸気内車)—同じ船です。長州藩が買ったときは「丁卯丸」と呼ばれ、のちに「第一丁卯」と呼ばれるようになりました
  • 丁卯(長州藩・砲艦・帆走)—要目が違い、名前が同じ別の船と考えられます
  • 第二丁卯(長州藩・バーク船・蒸気内車)—要目(機関・馬力)が同じで、持ち主が移った同じ船とみられます

第一丁卯を船の型と持ち主から読む

第一丁卯の機関は「内車」、つまり水の中のスクリュー(プロペラ)を回す方式です。推進器が外から見えず砲弾に当たりにくいため、幕末の軍艦の主流になった型です(外輪とスクリュー)。船種は「スクーナー級」。縦帆を主に使い少人数で動かせる「スクーナー型」の帆装の船です(帆の張り方・軍艦の格)。

当サイトで紹介している長州藩の船は、この第一丁卯を含めて11隻あり、そのうち帆船は4隻です。同じ長州藩の船には、丁卯(砲艦)、丙辰丸(砲艦)、丙寅丸(バーク船)、壬戌丸(輸送船)、庚申丸(砲艦)、癸亥丸(ブリッグ級)、乙丑丸(輸送船)、丁卯丸(スクーナー級)などがあります。

持ち主の長州藩の幕末をふり返ると、倒幕の中心。戊辰戦争では新政府軍の主力。第一丁卯も、そうした藩の歩みのなかで使われた一隻です(藩ごとの船と幕末の立場)。

参考資料:Wikipedia日本語版「第一丁卯」、Wikipedia日本語版「幕府海軍」ほか、博物館・自治体の公開資料。資料によって要目や日付が食い違う場合は、本文でその旨を書いています。

持ち主の長州藩—松下村塾の人々

吉田松陰と松下村塾 長州藩の幕末を担った若者たちの多くは、萩の松下村塾で吉田松陰に学んだ人々でした。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、品川弥二郎らが、ここで松陰の教えを受けています。松陰は安政の大獄で捕らえられ、安政六年(1859)に江戸で処刑されましたが、その志は門下生たちに受け継がれました。

船と人 慶応四年(1868)正月に長州藩の船となった第一丁卯丸を動かしたのも、こうした長州の若い世代でした。松下村塾の建物は、いまも萩の松陰神社の境内に残り、「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界遺産に登録されています。

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第一丁卯が順動丸を攻めた寺泊沖海戦は、こちらで解説しています。
寺泊沖海戦とは?順動丸が沈み、新政府軍が越後の海を押さえた北越戦争の海戦を図解でわかりやすく

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