【藩名】
高畠藩
【説明】
江戸中期の高畠藩主「織田信美」は所領の大部分が天童を中心とした村山郡に集中していることを考慮して、居館を「高畠陣屋」から天童に移そうとしました。文政11年(1828年)5月に幕府からもそれを許され、信美は天保元年(1830年)に陣屋を天童に移しました。このため、以後は天童藩となりました。
【高畠藩・場所・アクセス】
高畠城跡
〒992-0351 山形県東置賜郡高畠町高畠1064
【高畠藩マップ】
目次
幕末には、もう高畠にいません
高畠藩は明和四年(一七六七年)に成立した織田家の藩です。信長の子孫にあたる家が、上野国の小幡藩から移ってきました。石高は二万石(二万三千石とする資料もあります)。
ところが天保元年(一八三〇年)、陣屋を天童へ移しています。所領の大部分が村山郡——天童のあたりに集中していたためです。文政十一年(一八二八年)に幕府の許可を得ての移転でした。
つまり幕末の高畠には、もう藩庁はありません。その後の高畠は米沢藩領となり、慶応二年(一八六六年)には屋代郷がすべて上杉領になっています。
移った先の天童藩は、戊辰戦争で焼かれました
天童藩となった織田家の幕末は苛烈です。慶応四年四月、重臣の吉田大八が庄内藩と戦って大敗し、天童の城下は焼き討ちに遭いました。
五月には奥羽越列藩同盟に加わります。吉田大八は責任を取って切腹しました。九月に降伏し、所領二千石を没収されて一万八千石に減らされています。
高畠に残るもの
高畠城跡は現在、高畠町立高畠小学校の敷地になっています。土塁と内堀の一部が残っており、堀は昭和五十八年に高畠町の指定史跡となりました。『高畑城絵図』も町の指定有形文化財です。

