| 波多 彦太郎 | |||
| 出身 | 土佐藩 | ||
| 職名 | |||
後波多彦太郎は土佐藩出身の海援隊士です。
河田小龍のもとで勉強し、その才気は13歳にして素晴らしかったと書かれています。
近藤長次郎や新宮馬ノ助よりも学問が出来たといいます。
龍馬暗殺後の新隊長「長岡謙吉」を中心とした海援隊として同志十二人の中の一人です。
この一隊は旧幕領だった塩飽諸島と、小豆島東部の三か村を押さえています。
程なく小豆島が倉敷県の管轄となり倉敷県に就官するも程なく病死しました。

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