| 弘済丸 | |||
| 藩名 | 伊予松山藩 | ||
| 藩主 | 久松定穀 | ||
| 船種 | 輸送船 | ||
| 機関 | 帆走 | ||
| 備砲 | 0門 | ||
| 材質 | 木製 | ||
| 馬力 | 0馬力 | ||
| 写真 | 絵図 | ||
■ 詳細
紀州新宮藩が1859年に「丹鶴丸」として建造し、その後松山藩が購入し「弘済丸」と命名しました。
しかし、これが「弘口丸」という説もあります。
目次
所属した伊予松山藩と幕末の動き
この軍艦・弘済丸を運用したのは、伊予の伊予松山藩(久松松平家)です。十五万石の親藩で、洋式の船で瀬戸内の海防にあたりました。
伊予松山藩は徳川家に連なる親藩の名門で、幕末は佐幕の立場をとりました。鳥羽・伏見の戦いでは旧幕府方として参戦しますが、敗れると新政府軍(土佐藩)に城下を接収され、恭順して藩の存続を許されます。旧幕府方から新政府への恭順という、多くの親藩がたどった道を歩んだ藩でした。弘済丸はその転換期を生きた一隻です。
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