速鳥丸【姫路藩 スクーナー船 幕末軍艦】

速鳥丸
藩名 姫路藩
藩主 酒井忠宝
船種 スクーナー船
機関 帆走
備砲 0門
材質 木製
馬力 0馬力
写真

■ 詳細
長15間・幅3間・450石。
黒船来航によって大船建造の禁が解除された後、安政年間に姫路藩でも西洋式船舶の建造計画が持ち上がりました。

安政4年(1857年)11月に御津造船所で起工され、安政5年(1858年)6月24日に進水し「速鳥丸」と命名されました。船舷13間3尺(24.5m)・上通長15間(27.3m)・450石積みで、『大日本線路細見録』によれば長さ14間2尺(26.1m)・幅2間3尺5寸(4.7m)・トン数58.25トンでした。

なお、勝海舟の『船譜』によれば長さ15間(27.3m)・幅3間(5.5m)・450石積みといいます。2本のマストを備え、『軍艦速鳥丸図』では前部マストに横帆・後部マストに縦帆を張ったブリガンティンとして描かれているが、スクーナーと説く文献もあります。

「速鳥丸」は、進水から約半月後の安政5年(1858年)7月15日に飾磨沖で試験航海を終えました。そして、計画通りに国内交易物資の輸送船として使用されることになりました。最初の実用航海では江戸品川沖まで10日間で到着し、往路は米1000俵・木綿30個・石を100石と船客18人、復路は干鰯や大豆を無事に運びました。以後も、米や木綿、砂糖、購入兵器などを運び、藩財政の立て直しに貢献しました。

幕末軍艦一覧リスト

漂流した二人が、造船に加わりました

速鳥丸は、藩校の教授で国学者の秋元安民が安政三年に藩主へ建議したことから始まった船です。実際の建造には、海を漂流して外国船に拾われた経験を持つ清太郎と源次郎という二人が加わりました。二人はのちに士分に取り立てられ、本荘善次郎、山口洋五郎と名を改めています。外国人の技師を雇わず、漂流民の見聞と藩士の建議で洋式の船を仕立てたわけです。なお当サイトの神護丸のページは、助けられて帰国した漁師を四人としており、人数が食い違います。

品川まで十日

安政四年十一月に御津の造船所で起工し、安政五年六月二十四日に進水、その半月あまりのちには飾磨沖での試験航海を終えました。初めての航海では江戸の品川沖まで十日で着き、米千俵と木綿三十個、石百石、乗客十八人を運んでいます。以後、明治五年までに八十回の航海を重ねました。姫路藩はこの船に続けて金花丸と神護丸を造っており、速鳥丸はその一隻目にあたります。

大きさは三通りに伝わります

『播州郷土資料』は長さ十三間三尺で四百五十石積み、『大日本線路細見録』は長さ十四間二尺・幅二間三尺五寸で五十八トン余り、勝海舟の『船譜』は長さ十五間・幅三間で四百五十石積みとしており、資料によって数字が違います。どれが正しいとまでは確かめられませんでした。

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