【藩名】
三春藩
【説明】
戊辰戦争の際には他の東北諸藩同様に新政府側であったが、奥羽鎮撫総督参謀の世良修蔵暗殺と会津・旧幕府軍による白河城攻略による白石会議が「奥羽越列藩同盟」に変貌した為これに加わります。

新政府軍の「迅衝隊(土佐藩)」による棚倉城落城と、仙台藩の棚倉城防衛放棄ともとれる背信的行為、これに加え平潟の新政府軍上陸により防衛が不可能と判断され、「断金隊」隊長の「美正貫一郎」の尽力や郷士「河野広中」の斡旋もあり新政府軍に無血降伏をします。
これにより逆賊となることは回避され、藩内を兵災から守り、多くの人命が救われ、所領も安堵されて維新を迎えることが出来ました。しかし、二本松藩や会津藩、仙台藩など三春藩と行動を共にしていた各藩からはこの背面行為は許せないものでした。三春藩の降伏により二本松藩は新政府軍から一方的な攻撃にさらされ城は落城しました。
【三春藩・場所・アクセス】
〒963-7759 福島県田村郡三春町大町
【三春藩地図】
目次
三春駒の里・三春藩
三春藩は、陸奥国田村郡(現在の福島県三春町)に置かれた五万石の藩で、三春城を居城とし、藩主は秋田家でした。郷土玩具「三春駒」や名木・滝桜で知られる、奥州のなかほどに位置する藩です。
同盟からの寝返り
戊辰戦争において三春藩は、当初は奥羽越列藩同盟に加わっていました。しかし新政府軍が迫ると、藩はひそかに新政府側へと転じ、かえって同盟軍に攻撃を加える側に回ります。この寝返りは、隣接する二本松藩などが孤立して悲劇的な戦いに追い込まれる一因ともなりました。同盟の結束がもろくも崩れていった、戊辰戦争東北戦線の実情を伝える藩です。

