2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)は、幕末の幕臣・小栗忠順が主人公です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

川路聖謨(かわじ としあきら)は、豊後日田の下級役人の子に生まれ、勘定所の最下級の役人から勘定奉行にまで上りつめた幕臣です。ロシアの使節プチャーチンとの交渉では、機知とねばり強さで相手を感心させ、日露和親条約を結びました。
慶応四年(1868年)三月十五日、江戸城総攻撃が予定されていたその日に、川路は自ら命を絶ちました。大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公・小栗忠順がのちに務める勘定奉行の、いわば先輩にあたる人物です。
川路聖謨の大河『逆賊の幕臣』での配役は、2026年10月24日の時点ではまだ発表されていません。発表があり次第、この記事に追記します。
川路聖謨とは?—先に答え
| 読み方 | かわじ としあきら |
|---|---|
| 生没 | 享和元年(1801年)四月二十五日〜慶応四年(1868年)三月十五日。満六十六歳 |
| 生まれ | 豊後日田。日田代官所に勤めた内藤吉兵衛の子。御家人・川路家の養子となりました。弟は井上清直 |
| 何をした人 | 勘定所の下役から勘定吟味役・佐渡奉行・奈良奉行・大坂町奉行を経て勘定奉行に。ロシアのプチャーチンと交渉し、日露和親条約に全権として調印しました |
| 小栗との接点 | ともに勘定奉行を務めた幕府財政の担い手です。川路は江戸開城の直前に、小栗はその二か月後に、幕府とともに命を終えました |
| 最期 | 慶応四年三月十五日、江戸の自宅で割腹のうえ拳銃で自決しました |
日田の下級役人の子から
川路は、天領(幕府の直轄地)だった豊後日田で、代官所に勤める内藤吉兵衛の子として生まれました。父は息子たちを江戸に出し、川路は御家人の川路家の養子になります。御家人は旗本より下の、将軍に会う資格のない身分でした。
川路は勘定所の筆算吟味という試験に合格して勘定所に入り、もっとも下の役から実務の腕を磨きました。評定所の書記として裁判記録を扱い、出石藩の御家騒動(仙石騒動)の調べで手腕を認められたことが、出世のきっかけになったといわれます。
佐渡・奈良・大坂—各地の奉行として
川路は勘定吟味役を経て、佐渡奉行、小普請奉行、普請奉行、奈良奉行、大坂町奉行と、各地の奉行を歴任しました。奈良奉行のときには、荒れていた歴代天皇の陵墓を調べ、保護を進めたことでも知られます。
嘉永五年(1852年)、川路はついに勘定奉行に任じられました。御家人の生まれから勘定奉行に上ったことは、能力しだいで身分を超えて出世できた幕府の役人の世界をよく表しています。のちに勘定奉行として幕府財政を担った小栗忠順は、名門旗本の出でした。同じ役に、まったく違う出自の二人が就いたことになります。勘定奉行の仕事については勘定奉行とは何をする仕事?小栗忠順の役職を「今でいうと」で解説で解説しています。
プチャーチンとの交渉—日露和親条約
嘉永六年(1853年)、ペリーの来航から間もなく、ロシアの使節プチャーチンが長崎に来航しました。川路は筒井政憲とともに応接役として長崎に赴き、国境や開港をめぐる交渉にあたります。
交渉の場で川路は、時に冗談を交え、時に一歩も引かずに議論しました。プチャーチンに同行した作家ゴンチャロフは、紀行文『フリゲート艦パルラダ号』の中で、川路の知性と機知を高く評価しています。
交渉は下田に移り、安政元年(1854年)十二月、下田の長楽寺で日露和親条約が結ばれました。この条約で、択捉島とウルップ島の間に国境が定められています。交渉中に起きた安政の大地震の津波でロシアの軍艦ディアナ号が失われると、川路らは伊豆の戸田村で代わりの船を造ることを認め、日本人の船大工が洋式船の建造を学ぶきっかけにもなりました。
条約勅許と左遷
安政五年(1858年)、老中・堀田正睦が日米修好通商条約の勅許を得るために京都へ上ると、川路も随行しました。しかし勅許は得られず、堀田は失脚します。
大老となった井伊直弼のもとで、一橋派と見なされた川路は西丸留守居に左遷され、やがて隠居・差控を命じられました。同じころ、弟の井上清直も小普請奉行に移されています。その後、文久三年(1863年)に外国奉行に一時復帰しますが、まもなく病を理由に退きました。
江戸開城の直前に—川路の最期
晩年の川路は中風で体が不自由になっていました。慶応四年(1868年)、鳥羽伏見の戦いに敗れた徳川慶喜が江戸に戻り、新政府軍が江戸に迫ります。新政府軍の江戸城総攻撃は、三月十五日と定められていました。
その三月十五日、川路は自宅で腹を切り、さらに拳銃で自らを撃って命を絶ちました。総攻撃は勝海舟と西郷隆盛の会談によって中止されていましたが、その知らせが川路に届いていたかどうかはわかっていません。幕府に殉じた死として、のちに語り継がれました。
同じ年の閏四月、小栗忠順は上州権田村で、取り調べもないまま斬られます。財政を預かる勘定奉行を務めた二人の幕臣は、どちらも幕府の終わりとともに生涯を閉じました。
大河『逆賊の幕臣』と川路聖謨
川路は条約交渉や将軍継嗣問題、堀田正睦の上洛など、小栗の青年期の幕府を動かした中心人物の一人です。2026年10月24日の時点で配役は発表されていませんが、登場する可能性はあると考えられます。ただし、これは推測です。
川路聖謨のゆかりの地
- 長楽寺(静岡県下田市)。日露和親条約が結ばれた寺です
- 大正寺の墓(東京都台東区池之端)
- 日田(大分県日田市)。生まれた土地です
小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
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- 横須賀の日帰りコース(都内発。軍港めぐりで、小栗が始めた造船所を海から見られます)
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小栗忠順をもっと知る本
記事の内容をもっと知りたい方に、小栗忠順を扱った本を紹介します。
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参考資料
川田貞夫『川路聖謨』(吉川弘文館)、ゴンチャロフ『日本渡航記』、国立公文書館「旗本御家人II」川路聖謨、外務省外交史料館「日本外交の礎を築いた人々」、コトバンク「川路聖謨」。



