福地源一郎とは何をした人物か—長崎の通詞から幕臣、新聞人へ。『幕末政治家』で小栗上野介を書き残した桜痴

福地源一郎の肖像

2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)は、幕末の幕臣・小栗忠順が主人公です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

福地源一郎の肖像
福地源一郎(桜痴)

福地源一郎(ふくち げんいちろう)は、長崎の医師の家に生まれ、オランダ語と英語の通訳として幕府に仕えた幕臣です。号は桜痴(おうち)。明治になると東京日日新聞の主筆・社長として筆をふるい、歌舞伎座の創設にもかかわりました。

大河『逆賊の幕臣』の主人公・小栗忠順との関わりでいえば、福地は小栗を「書き残した人」です。明治三十三年(1900年)に出した『幕末政治家』で、福地は小栗を岩瀬忠震・水野忠徳と並べて論じました。斬られて資料の多くを失った小栗が、いまどう語られているかの源流の一つがここにあります。生まれ、幕府の通詞としての日々、二度の洋行、戊辰の筆禍、新聞人としての明治、そして小栗について書いたこと、の順にたどります。

目次

福地源一郎とは—先に答え

生没天保十二年(1841年)三月二十三日、肥前長崎に生まれる。明治三十九年(1906年)一月四日死去。享年六十六
身分長崎の医師の子。通詞として幕府に出仕し、幕臣となった
号桜痴
幕末に何をした蘭学と英語を学び、幕府の外国方の通訳に。文久元年と慶応元年の二度、使節に加わってヨーロッパへ渡った
戊辰戦争慶応四年に『江湖新聞』を出して新政府を批判し、捕らえられた
明治大蔵省を経て岩倉使節団に加わる。東京日日新聞の主筆・社長、立憲帝政党、歌舞伎座の創設、劇作
小栗との関わり『幕末政治家』(明治三十三年)で小栗を岩瀬忠震・水野忠徳と並ぶ人物として論じ、書き残した
墓東京・谷中霊園

生まれ—長崎の医師の家

福地源一郎は天保十二年(1841年)三月二十三日、肥前長崎に生まれました。父は医師の福地苟庵です。出島のオランダ商館がある長崎で、源一郎は名村花蹊についてオランダ語を学びました。

安政五年(1858年)に江戸に出ると、英語を森山多吉郎に学び、翌年には通訳として幕府に出仕します。武士の家の出ではない源一郎が幕府に入る道は、語学でした。のちに幕臣に取り立てられています。

二度の洋行—幕府の通詞として

源一郎は文久元年(1861年)と慶応元年(1865年)の二度、幕府の使節に随行してヨーロッパへ渡りました。慶応元年の使節は柴田剛中を長とするもので、目的の一つは横須賀製鉄所に使う機械や技術者をフランスで手配することでした。小栗が進めた横須賀の事業の、現地での実務にあたった使節です(柴田剛中とは)。

江戸にいるあいだは外国方の通訳として働き、外国奉行や勘定奉行を務めた小栗とも、同じ幕府の中で仕事をしていました。

戊辰戦争と『江湖新聞』

初期の新聞を刷る印刷所(イメージイラスト)
慶応4年ごろの新聞づくりのようす(イメージイラスト)

慶応四年(1868年)、戊辰戦争のさなかに、源一郎は『江湖新聞』を出して新政府を批判しました。とくに「強弱論」と題した記事が問題とされ、捕らえられて新聞は発行を禁じられます。木戸孝允のとりなしで釈放されたとされます。新聞記者としての福地の出発は、新政府に捕らえられることから始まりました。

明治—大蔵省から東京日日新聞、歌舞伎座へ

明治三年(1870年)、源一郎は大蔵省に入り、岩倉使節団にも一等書記官として加わりました。しかし役人の道にはとどまらず、明治七年(1874年)に東京日日新聞の主筆となり、のちに社長となります。明治十五年には政府寄りの立憲帝政党をつくりました。

晩年は演劇に力を注ぎ、明治二十二年(1889年)の歌舞伎座の創設にかかわって、『春日局』などの脚本を書きました。明治三十七年には衆議院議員にもなっています。

小栗について書き残したこと

明治三十三年(1900年)、源一郎は『幕末政治家』を出しました。幕府の側で働いた政治家たちを、実際にそばで見た人の目で論じた本です。このなかで福地は、岩瀬忠震・水野忠徳・小栗忠順を幕末の幕府を支えた人物として取り上げ、小栗に一項を割いています。

小栗の言葉として知られる「国亡び身斃るるまでは公事に鞅掌するこそ真の武士なれ」(国が滅び、自分が倒れるまで、公の仕事に力を尽くすのが本当の武士だ)は、高崎市立中央図書館の資料が、この『幕末政治家』を出典に挙げています。小栗の名言の出どころについては、小栗上野介の名言のページでも扱っています。

なお、大政奉還のころ、源一郎が小栗に「慶喜が大統領となって新しい政治の主導権を握るべきだ」という意見書を出したという話もよく紹介されます。ただ、この話は伝記の研究書に載るもので、国立国会図書館の「近代日本人の肖像」など公的な解説には出てきません。このページでは「そう伝えられる話」としておきます。

新政府に捕らえられ、のちには政府寄りの新聞人になった福地が、斬られた幕臣・小栗を書き残したこと。明治の世に小栗の名を伝えたのは、こうした「生き残った幕臣」たちの筆でした(小栗上野介と親しかったのは誰か)。

福地源一郎ゆかりの地

長崎(生誕地)

長崎の新石灰町(いまの油屋町)の生まれとされます。

歌舞伎座(東京都中央区銀座)

明治二十二年に開場した歌舞伎座の創設にかかわりました。建物は建て替えられていますが、場所は今も同じ木挽町(銀座四丁目)です。

谷中霊園(東京都台東区)

墓は谷中霊園にあります。

小栗忠順のゆかりの地をめぐる

小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。

倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。

泊まりがけで回るなら、宿は高崎駅の周辺か、倉渕から車で40〜50分ほどの伊香保温泉が便利です。横須賀は横須賀中央駅のまわりに宿が集まっています。空き室はじゃらんnet(高崎駅周辺・伊香保温泉・横須賀中央)で探せます(PR)。

小栗忠順をもっと知る本

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参考資料

  • 国立国会図書館「近代日本人の肖像」福地源一郎
  • コトバンク「福地桜痴」(日本大百科全書・日本人名大辞典ほか)
  • 国立公文書館「旗本御家人」福地源一郎
  • 東洋文庫『幕末政治家』(ジャパンナレッジ)
  • 高崎市立中央図書館『市史のひろば』第七号
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