2027年NHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』(2027年1月10日放送開始/主演・松坂桃李)の関連記事です。▶ 大河『逆賊の幕臣』特集に、関連記事とキャスト一覧をまとめています。

大鳥圭介(おおとり けいすけ)は、播磨の村医者の息子から、学問の力だけで幕府の歩兵奉行にまで上った人です。戊辰戦争では精鋭の伝習隊を率いて宇都宮・会津・箱館と戦い続け、降伏したあとは明治政府で工部大学校の校長や清国公使を務めました。
伝習隊に加わるとき、大鳥が頼ったのは大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公・小栗忠順でした。藩と身分、幕末の歩み、出世の経緯、逸話、事件、最期、ゆかりの地の順にたどります。
大鳥圭介とは—先に答え
| 出身・身分 | 播磨国赤穂郡細念村石戸(現・兵庫県上郡町)の村医者の子。当時この村は尼崎藩の飛び地 |
|---|---|
| 生没 | 天保4年(1833年)2月25日〜明治44年(1911年)6月15日。享年79(生年は天保3年説も) |
| 名前 | 諱は純彰、号は如楓。もとの姓は小林 |
| 幕末に何をした | 適塾で蘭学を学び、江川塾の兵学教授、幕府の開成所教授を経て、伝習隊の指揮官に |
| 出世の経緯 | 尼崎藩・徳島藩・幕府と学問で召し抱えられ、元治2年に旗本。小栗忠順に頼んで伝習隊に入り、慶応4年に歩兵奉行 |
| 関わった戦い | 宇都宮城の戦い、母成峠の戦い、箱館戦争(陸軍奉行) |
| 明治の出世 | 黒田清隆らの尽力で特赦。工部大学校長、学習院長、清国公使・朝鮮公使、枢密顧問官、男爵 |
| 最期・墓所 | 明治44年に死去。墓は青山霊園(現在は霊園内の立体埋蔵施設) |
播磨の村医者の子—閑谷学校から適塾へ
大鳥圭介は天保4年(1833年)、播磨国赤穂郡細念村の石戸(現在の兵庫県赤穂郡上郡町岩木)に、村医者の息子として生まれました。赤穂郡ですが、当時この村は尼崎藩の飛び地でした。生まれた年は天保3年とする資料もあります。
岡山藩の閑谷学校で5年間、漢学や漢方医学を学び、赤穂の中島意庵に西洋医学を習ったあと、嘉永5年(1852年)に大坂の緒方洪庵の適塾に入りました。のちに戦場で向き合うことになる大村益次郎も適塾の出身ですが、二人の在籍時期は重なっていません(大鳥圭介と大村益次郎)。江戸では坪井塾の塾頭になり、関心は医学から兵学・工学へ移っていきます。
幕末に何をしたのか—兵学者から伝習隊の指揮官へ
江川塾の兵学教授と幕府の翻訳方
安政4年(1857年)、韮山代官・江川家の塾(縄武館)に兵学教授として招かれ、同じころ中浜万次郎に英語を習いました。安政6年には幕府の蕃書調所に勤め、文久元年(1861年)に鉄砲方附蘭書翻訳方、文久3年に海陸軍兵書取調方となって、西洋の兵学書を訳していきます。
小栗忠順に頼んで伝習隊へ
慶応3年(1867年)1月、勘定奉行の小栗忠順に頼んで、フランス式の訓練を受ける伝習隊に加わりました。伝習隊は、小栗らが進めた幕府陸軍の近代化の中心となる部隊です。同年10月に歩兵頭並、慶応4年1月に歩兵頭、2月には歩兵奉行に上りました。
慶応4年1月、鳥羽伏見の敗戦を受けた江戸城の評定では、小栗・榎本武揚らとともに徹底抗戦を主張したとされます。その作戦が採られていたらどうなったかは【幕末のもしも】小栗忠順の作戦が採用されていたらで考えています。
出世した経緯—学問だけで旗本、そして明治の高官へ
町医者の子だった大鳥は、蘭学と兵学の腕を買われて、安政5年に尼崎藩士(8人扶持)、続いて徳島藩に召し抱えられ、元治2年(1865年)1月には正式に幕臣(50俵3人扶持の旗本)になりました。そこから3年で歩兵奉行です。家柄がものをいう幕府で、学問一本でここまで上った例は多くありません。
明治2年に箱館で降伏したあとは東京の牢に入れられましたが、明治5年1月に特赦で出獄します。赦免には黒田清隆が力を尽くし、大村益次郎も「賊のうちで役に立つ」と言って罪を軽くするよう動いたと伝わります。出獄後は開拓使、大蔵省(欧米で公債の交渉)を経て工部省に入り、工部大学校の校長、明治14年に工部技監、明治19年に学習院院長と華族女学校校長、明治22年に清国公使、明治26年に朝鮮公使を兼ね、枢密顧問官、明治33年に男爵となりました。
逸話
「今は降伏と洒落込もう」
五稜郭で降伏を決めたとき、「死のうと思えばいつでも死ねる。今は降伏と洒落込もうではないか」と言ったと伝わります。辞典によっては「今度は一番降参としゃれてみてはどうか」と書かれていて、言い回しは資料ごとに違います。
負けても笑顔
本人はのちに、実際の戦闘の指揮はあまりうまくなかったと語っています。それでも負けが続いても落ち着いていて、笑顔を失わなかったといわれます。
日本初の金属活字
亜鉛と錫で金属活字(大鳥活字)をつくり、兵学書『築城典刑』などを自分で出版しました。温度計や気球もつくり、松本良順とコレラの治療法を研究するなど、技術者としての顔も持っていました。
地震でも「なくすものがない」
安政の大地震で住んでいた長屋がつぶれたときも、「なくすものがないから怖いものはない」と平然としていたと伝わります。
関わった事件・戦い
宇都宮城の戦い
慶応4年4月11日、伝習隊を率いて江戸を脱走し、市川・小山を経て、4月19日に宇都宮城を攻め落としました。しかし23日には新政府軍の援軍に城を奪い返されます(【現地取材】宇都宮城と太平山を歩く)。
母成峠の戦い
今市・会津と転戦し、8月21日の母成峠の戦いでは、伝習隊がしんがりを務めて大きな損害を受け、敗走しました(母成峠古戦場跡、会津の新選組)。
箱館戦争
仙台で榎本武揚の艦隊と合流して蝦夷地へ渡り、箱館の政権では陸軍奉行を務めました。新選組の土方歳三らとともに戦いましたが、明治2年(1869年)5月18日、五稜郭で降伏します。降伏から出獄までの日々を書いた『流落日記』は、国立国会図書館に残っています。
明治の朝鮮公使として
明治27年(1894年)、朝鮮公使として、日本軍による朝鮮王宮の占拠に関わりました。これが日清戦争の開戦につながっていきます。
最期
晩年は小田原で津波の被害にあい、息子たちにも続けて先立たれました。明治44年(1911年)6月15日に亡くなり、その日付で正二位を贈られています。墓は東京の青山霊園にありましたが、いまは墓じまいされ、霊園内の立体埋蔵施設に移されています。
大鳥圭介ゆかりの地
上郡町の銅像と生誕の地(兵庫県赤穂郡上郡町)
上郡町役場の前に大鳥圭介の銅像が立ち、生まれ故郷の石戸地区には生家跡と「男爵大鳥圭介生誕之地」の碑があります。石戸では毎年5月4日に「圭介まつり」が開かれています。
いきいき交流ふるさと館(兵庫県上郡町)
上郡町岩木丙445-1。大鳥圭介の資料を集めて展示しています。
母成峠古戦場(福島県)
伝習隊が会津へ退く途中で敗れた峠です。現地の様子は母成峠古戦場跡で紹介しています。
五稜郭と碧血碑(北海道函館市)
箱館政権の本拠地五稜郭と、明治8年(1875年)に建てられた碧血碑。碧血碑は箱館戦争で死んだ旧幕府軍の兵をまつる碑で、大鳥と榎本武揚らが協力して建てたものです。
小栗忠順のゆかりの地をめぐる
小栗のゆかりの地は、東京・横須賀・埼玉・群馬に集まっています。姉妹サイト「日本の歴史旅ガイド」で、都内から回るモデルコースを紹介しています。
- 【現地取材】小栗上野介ゆかりの地を1日でめぐる|築地・雑司ヶ谷・大宮・倉渕の回り方とモデルコース、ゆかりの地一覧(回る順番と移動時間、エリア別の一覧)
- 【現地取材】小栗上野介の生まれた場所はどこ?生誕地・神田駿河台の小栗家屋敷跡と横須賀のゆかりの地(ヴェルニー公園の胸像と、烏川の河原から運ばれた記念石。神田駿河台の生誕地)
- 小栗上野介ゆかりの地 ― 東京・横須賀・埼玉・群馬をたどる(まとめ)
- 倉渕・東善寺をめぐるモデルコース(都内発・車で1泊2日。墓所の東善寺、最期の地、普門院の首塚)
- 横須賀の日帰りコース(都内発。軍港めぐりで、小栗が始めた造船所を海から見られます)
倉渕(高崎市)の東善寺や最期の地は駅から離れているので、高崎駅前でレンタカーを借りると回りやすくなります。各社の料金はじゃらんレンタカーで比べられます(PR)。
泊まりがけで回るなら、宿は高崎駅の周辺か、倉渕から車で40〜50分ほどの伊香保温泉が便利です。横須賀は横須賀中央駅のまわりに宿が集まっています。空き室はじゃらんnet(高崎駅周辺・伊香保温泉・横須賀中央)で探せます(PR)。
小栗忠順をもっと知る本
記事の内容をもっと知りたい方に、小栗忠順を扱った本を紹介します。
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2027年NHK大河ドラマ
『逆賊の幕臣』大河ドラマ特集
放送日・キャスト28人と相関・あらすじ・見どころから、主人公・小栗忠順の生涯とゆかりの地の現地写真まで、1ページで徹底解説しています。
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参考資料
- Wikipedia「大鳥圭介」
- コトバンク「大鳥圭介」(日本大百科全書・日本人名大辞典ほか)
- 国立公文書館「旗本御家人II」大鳥圭介
- 国立国会図書館「日記の世界」大鳥圭介
- 兵庫県「大鳥圭介」(PDF)
- Wikipedia「宇都宮城の戦い」「母成峠の戦い」


