お登勢 宛(慶応三年四月二十七日) 坂本龍馬の手紙 原書と現代文翻訳

お登勢 宛

原文
此一品ハきみへにおつかハし被成度、あれハ今どこにおるかしらん、たゞきづかい候。此度ハ下の関にせつかくつれてこふとおもいしニ、やれ々、又これよりながさきにかへるわ。言わいでもよろしきことなれども、御きおつけて被下まし。四月廿七日おとせさま梅より
現代文
この一品は君江(妻お龍の妹)に差し上げて下さい。彼女がどこにいるのか知らないけど、心配しています。この度は、下関へせっかく連れて行こうかと思っていたが、やれやれ、またこれから長崎へ帰るわ。言わなくてもいいことだけど、くれぐれもお気をつけて下さいね。4月27日お登勢様(寺田屋女将)梅(龍馬の変名)より

出典:原文は宮地佐一郎編『龍馬の手紙』(講談社学術文庫)によります。現代文は、運営者がこの原文をもとに独自に訳したもので、解説も運営者が書いています。

目次

この手紙について

「この品を君江(妻お龍の妹)に渡してほしい。彼女が今どこにいるか分からず心配しています。今回は下関へ連れて行こうと思ったが、またこれから長崎へ帰るよ」という、お龍の妹を気づかう私信です。四月二十七日付、「梅(才谷梅太郎)」の署名。追われる身でありながら、妻の家族まで気にかける龍馬のやさしさがにじみます。

宛先「お登勢」とは

京都・伏見の旅籠「寺田屋」
お登勢が営んだ伏見の寺田屋(現地取材)

お登勢は京都伏見の寺田屋の女将で、龍馬夫妻の恩人でした。妻お龍やその家族の消息を託せる、身内のような存在でした。

この手紙が書かれたころ

下関と長崎を行き来する多忙な日々のなかでも、妻お龍やその妹の身の上まで案じていました。志士の顔の裏にある、家庭人としての一面がのぞきます。志士たちは家族と離れて活動し、その安否を気づかいながら各地を移動していました。龍馬もまた、そうした一人でした。脱藩の身で家庭を持ち諸国を巡る龍馬は、妻の実家との縁も大切にしていました。藩を離れてなお、人とのつながりを結び続けていました。

いろは丸が沈んだ四日後、妹のことを気にかけて

宮地佐一郎編『龍馬の手紙』は、この一通を慶応三年四月二十七日のものとしています。四日前の四月二十三日、龍馬の乗った伊呂波丸が紀州藩の明光丸とぶつかって沈んでいました。その直後の手紙なのに、事故のことはひと言も書いていません。この品は「きみへ」にやってほしい、あの子はいまどこにいるのだろう、ただ気がかりだ—と、寺田屋のお登勢に頼んでいます。

「きみへ」は、宮地の注によればお龍の妹の楢崎君江のことです。下関にせっかく連れてこようと思ったのに、やれやれ、またこれから長崎へ帰る、とも書いていて、船を失って予定が狂ったことが行間からうかがえます。君江はこの翌年の三月、生前の龍馬の望みで海援隊の菅野 覚兵衛と長崎で結婚しました。龍馬はそれを見ることなく、この年の十一月に京で斬られています。事故のあとの慌ただしさのなかで、妻の妹の行方を案じる一通です。

同じころの龍馬—いろは丸事件の直後

いろは丸の沈没 この手紙の四日前、慶応三年(1867)四月二十三日の夜、海援隊が大洲藩から借りていた蒸気船いろは丸は、瀬戸内海の備中・讃岐の沖で紀州藩の大きな蒸気船・明光丸と衝突し、沈んでしまいました。龍馬たちは鞆の浦に上陸し、紀州藩と話し合いを始めますが、決着はつかず、交渉の場は長崎に移されます。

相手は御三家 相手は徳川御三家の紀州藩です。龍馬は、海上の衝突の責任を国際的なきまり(万国公法)に照らして判断すべきだと主張し、長崎の町でも紀州藩を責める歌をはやらせて世論を味方につけたと伝えられます。伏見のお登勢への手紙は、そうした緊張のさなかに書かれました。

慶応三年四月末、いろは丸を失った龍馬

四月二十三日の衝突

海援隊が大洲藩から借りていたいろは丸は、四月二十三日の夜、備中の六島の沖で紀州藩の明光丸とぶつかり、鞆の浦へ曳かれていく途中で沈みました。積荷もろとも船を失い、海援隊は発足したばかりで大きな損失を抱えます。龍馬は鞆の浦で紀州藩と談判を始めましたが、折り合いはつきませんでした。この手紙は、その衝突からわずか四日後のものです。

海援隊の誕生

この四月、龍馬たちの亀山社中は土佐藩の「海援隊」となりました。龍馬はその隊長で、隊は土佐藩の外郭の組織として、海運と貿易、そして藩への協力を担います。同じころ、中岡慎太郎も陸の組織である陸援隊を率いることになりました。陸援隊の結成は、五月とも七月ともいわれます。

お龍の妹・君江

手紙の中で龍馬が気にかけている君江は、お龍の妹です。お龍の家は、京都の医師だった父を亡くしてから暮らしが苦しくなり、妹たちも苦労を重ねていました。龍馬は妻の妹たちの身の上まで気にかけていたことが、この短い手紙から分かります。

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