| 佐々木 栄 | |||
| 出身 | 越前藩 | ||
| 職名 | |||
福井越前藩出身の海援隊士です。
越前藩が亀山社中に出資している関係上、松平春嶽侯より亀山社中へ出向させられた可能性が高いです。
その他詳細は不明です。

目次
「三上太郎」と「佐々木栄」について
この人物は、資料によって複数の名前で記録されています。福井藩大番組士・三上孫太夫の子で、前の名は三上栄太郎。ほかに「三上太郎」「三上三郎」という表記も確認できます。のちに佐々木栄と名乗りました。
改姓の経緯を記した資料は見つかっていません。また没年も不詳です。生年は弘化二年(一八四五年)とされます。
当サイトでは以前、記事の見出しを「三上太郎」、本文を「佐々木栄」として掲載していました。同一人物ですので、より一般的な「佐々木栄」に統一しました。
なお土佐藩出身の海援隊士に佐々木高行がいますが、まったくの別人です。
亀山社中と海援隊について
亀山社中は慶応元年、神戸海軍操練所の廃止で行き場を失った坂本龍馬ら二十余名が、薩摩藩の保護と長崎の豪商・小曽根家の援助を受けて長崎の亀山に置いた組織です。薩摩藩から一人あたり月三両二分が支給されていました。
ただし「亀山社中」という名称は当時のものではありません。同時代の史料に見えるのは「社中」という名乗りだけです。
慶応三年四月、龍馬の脱藩が赦免されて隊長となり、土佐藩に付属する外郭機関「海援隊」と改称しました。隊士の人数は資料により異なり、辞典類は約五十名としています。同時代の隊士名簿にあたる史料は確認されていません。
くわしくは海援隊士全56名情報をご覧ください。
▼ ほかの隊士もまとめて見る
亀山社中・海援隊の隊士一覧——龍馬がつくった「会社」に集まった五十四人

