【藩名】
大溝藩
【説明】
大溝城は戦国時代に浅井長政の旧臣で「織田信長」に降っていた「磯野員昌」や一族の「津田信澄(信長の甥)」が治めていました。しかし、元和5年(1619年)8月27日、伊勢上野藩から「分部光信」が2万石で入封し大溝藩が立藩されました。

第11代藩主「分部光貞」のときに幕末の動乱を迎えたが、光貞は中風に倒れていたため、藩としての幕末における目だった行動は見られません。光貞は「版籍奉還」の翌年に死去し、後を子の「分部光謙」が継ぐが、光謙は明治4年(1871年)7月の「廃藩置県」直前に藩知事を辞任し大溝藩は廃藩となりました。その後、大溝県は大津県に併呑されました。
光謙は昭和19年(1944年)11月29日に死去し、江戸時代の藩主で最後まで生存した人物として、上総請西藩主「林忠崇」、安芸広島藩主「浅野長勲」と共に後世に伝わっています。
目次
琵琶湖畔の大溝藩
大溝藩は、近江国高島郡(現在の滋賀県高島市)に置かれた二万石の藩で、藩主は分部家、琵琶湖の西岸に大溝陣屋を構えました。湖上交通の便のよい景勝の地を治めた、近江の小藩です。城下には陣屋の総門などが今も残り、往時の面影をとどめています。
静かに過ごした幕末
幕末の大溝藩は、藩主が病を得ていたこともあって、政局のうえで目立った動きを見せることはありませんでした。しかし京都に近い近江の地にあって、大きな戦火に巻き込まれることなく時代の転換を乗り切っています。動乱の時代を静かにやり過ごした、湖畔の小藩の姿を伝えています。
【場所・アクセス・地図】

