関宿藩/久世家4万8千石:久世広文 万宇隊を結成し彰義隊と活動した関宿藩

【藩名】
関宿藩

【説明】
幕末の藩主「久世広文」は若年のため、藩政は家臣団によって行なわれ、農兵の徴集や「天狗党の乱」の鎮圧などに参加しています。慶応元年(1865年)2月15日、将軍徳川家茂に拝謁し、同年12月25日に従五位下出雲守に叙位任官します。

関宿藩/場所・アクセス・地図 久世家4万8千石:久世広文 万宇隊を結成し彰義隊と活動した関宿藩【幕末維新写真館】

「戊辰戦争」が勃発すると佐幕派として江戸城を守備したが、藩内はその主導権をめぐって佐幕派と尊王派に分裂しました。佐幕派は江戸にあった広文を擁して深川に移し、これを奪取しようとする尊王派と争う有様だったが、結果、佐幕派が主導権をとります。

佐幕派は「万宇隊」を結成するなど上野山の「彰義隊」と協力して新政府軍と戦ったが、この戦に敗れた広文らは下総佐倉藩を頼って逃れます。後に帰国したが謹慎を命じられました。家臣による助命の嘆願運動もあって、明治元年(1868年)12月7日、5000石の減封と強制隠居の処分をうけ、官位剥奪などの処分で許されました。

目次

利根川の要衝・関宿藩

関宿藩は、下総国(現在の千葉県野田市関宿)に置かれた四万八千石の藩で、関宿城を居城とし、藩主は譜代の久世家でした。利根川と江戸川の分岐点にあたる水運の要地を治め、藩主からは老中を務める者も出た、幕政に近い藩でした。

旧幕府方として戦った藩士たち

戊辰戦争にあたって、関宿藩の一部の藩士は「万宇隊(ばんうたい)」を結成し、旧幕府方の彰義隊などとともに新政府軍と戦いました。譜代として旧幕府への恩義が深い土地柄だけに、藩の内外で去就が分かれたのです。江戸に近い譜代大名が経験した、幕末の複雑な立場を伝えています。

【場所・アクセス・地図】

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次