幕末の銃といえば、戦場で兵士が構える小銃や大砲を思い浮かべます。しかし、志士たちが身を守るために懐に忍ばせた「拳銃(リボルバー)」もまた、この時代を語る重要な一挺でした。とりわけ有名なのが、坂本龍馬が持っていたとされるスミス&ウェッソン社の回転式拳銃です。龍馬はこの拳銃で、あわや命を落としかねない襲撃を切り抜けたと伝えられます。人物と武器が結びついた、印象深い物語を見ていきましょう。

リボルバー(回転式拳銃)とは
リボルバーは、複数の弾を装填した回転式の弾倉(シリンダー)を備えた拳銃です。引き金や撃鉄の操作に合わせて弾倉が回転し、次の弾が発射位置に送られる仕組みで、一発ごとに込め直すことなく続けて撃てました。小型で携帯しやすく、金属薬莢の普及とあいまって、幕末の要人や志士のあいだで護身用として重宝されます。刀の時代から銃の時代へ移りゆくなかで、個人の武器にも近代化の波が及んでいたのです。
坂本龍馬とスミス&ウェッソン
坂本龍馬が持っていたと伝わるのは、アメリカのスミス&ウェッソン社製の回転式拳銃でした。これは、盟友である長州藩の高杉晋作から贈られたものだといわれています。当時最新の金属薬莢を用いる西洋の拳銃は、龍馬のような最前線で活動する志士にとって、まさに頼れる護身の道具でした。
寺田屋事件—拳銃が命を救う

この拳銃が龍馬の命を救ったとされるのが、1866年(慶応2年)の寺田屋事件です。京都・伏見の旅館寺田屋に潜んでいた龍馬は、伏見奉行所の捕り方に踏み込まれ、絶体絶命の窮地に陥ります。このとき龍馬は、手にした拳銃で応戦し、手に深い傷を負いながらも脱出に成功したと伝えられます。妻となるお龍が危機をいち早く知らせたという逸話とともに、幕末屈指の有名な事件です。
もし龍馬が旧来の刀だけで立ち向かっていたら、多数の捕り方に囲まれてどうなっていたか分かりません。連発の効く拳銃という近代兵器が、一人の志士の運命を、ひいては歴史の流れを変えたのかもしれない—そう思わせる一幕です。なお、翌1867年に龍馬が近江屋で暗殺された際には、この拳銃は役に立たなかったとも語られ、その最期といっそう対照的に記憶されています。

坂本龍馬の拳銃 スペック(性能一覧)
| 種別 | 回転式拳銃(リボルバー) |
|---|---|
| 装弾数 | 6発(回転式弾倉) |
| 弾薬 | 金属製薬莢(小口径) |
| 製造 | アメリカ・スミス&ウェッソン社 |
| 伝来の逸話 | 高杉晋作が坂本龍馬に贈ったと伝わる |
| 用途 | 護身用の携帯武器 |
※所有した拳銃の型式や来歴には諸説があります。
寺田屋の夜と三吉慎蔵
寺田屋事件が起きたのは慶応二年(1866)正月二十三日の夜、薩長同盟が結ばれた直後のことです。伏見の船宿・寺田屋に泊まっていた龍馬を、伏見奉行所の捕り方が取り囲みました。入浴中に気づいたお龍が裏階段を駆け上がって知らせ、龍馬は拳銃で、同宿の長府藩士・三吉慎蔵は槍で応戦します。龍馬は両手の指を斬られながら脱出し、材木置き場に身を潜めたのち、薩摩藩邸に救い出されました。
龍馬はこの夜のことを、のちに姉の乙女への手紙に詳しく書き残しています。当サイトでは龍馬が三吉慎蔵や寺田屋のお登勢に宛てた手紙も紹介しています(寺田屋お登勢宛の手紙)。事件のあと、龍馬とお龍は傷を癒やすため薩摩へ向かい、これが日本で最初の新婚旅行といわれることになります。
まとめ
坂本龍馬が持っていたと伝わるスミス&ウェッソンの回転式拳銃は、高杉晋作から贈られたとされ、寺田屋事件では龍馬の命を救ったと語り継がれています。刀から銃へと移りゆく時代を、一人の志士のドラマとともに映し出す一挺です。龍馬の活動については海援隊と亀山社中の記事もあわせてどうぞ。ほかの幕末の火器は銃器の一覧からご覧いただけます。

