【藩名】
横須賀藩
【説明】
天和2年(1682年)、「本多利長」は江戸城にて罪状を読み上げられた上で横須賀藩を改易されました。利長が改易されると信濃小諸藩より「西尾忠成」が2万5000石で入封しました。幕末になると西尾氏は譜代の名門大名であることから佐幕派と尊皇派に分裂して抗争が続きました。

戊辰戦争が始まると尾張藩の説得を受け、新政府軍に従うことで藩論を統一させました。その後、横須賀藩は新政府の東征軍に協力し各地に転戦しました。明治2年(1869年)、第8代藩主「西尾忠篤」は安房花房藩に移封され横須賀藩は廃藩となりました。
目次
遠州横須賀の譜代大名
横須賀藩は、遠江国(現在の静岡県掛川市横須賀)に置かれた二万五千石の藩で、藩主は譜代の西尾家でした。相模の三浦半島の横須賀とは別で、遠州灘に近いこの地で、横須賀城を中心に城下が営まれていました。徳川譜代として、東海道筋に近い要地を預かる立場にありました。
尊皇でまとまった幕末
幕末の横須賀藩は、譜代大名でありながら藩内が佐幕・尊皇に分かれて揺れましたが、戊辰戦争にあたっては尊皇の立場でまとまり、新政府側として時代の転換を乗り切りました。譜代の家でありながら現実的な選択をした、幕末の小藩の一つの生き方を示しています。
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