【藩名】
佐野藩
【説明】
唐沢山城を統治していた「佐野房綱」は豊臣秀吉に仕えていたが、ほどなく死去し、その跡を養子の「佐野信吉」が継ぎました。しかし、信吉の代に佐野氏は徳川幕府より改易されてしまいます。堅城を誇る唐沢山城を持つ佐野氏をどうにかして改易したかったものと考えられています。

その後、佐野領は幕府直轄地(天領)となるが、5代将軍「徳川家綱」の時代に大老「堀田正俊」の三男「堀田正高」が、正俊の遺領から下野都賀郡、安蘇郡のうちの1万石をもって分家し、佐野に城地を定め佐野藩が再藩しました。
しかし、正高は近江堅田へ移封され再び佐野藩は廃されて幕府領となりました。正高から4代後の「堀田正敦」が再び近江堅田より佐野の地に戻されて佐野藩が再興し以後は堀田氏の支配で明治維新に至りました。幕末時には慶応4年(1968年)4月4日、新政府軍に武器を献上しいち早く恭順したことで家名を保ちました。
目次
下野佐野の堀田家
佐野藩は、下野国(現在の栃木県佐野市)に置かれた一万三千石の藩で、藩主は堀田家でした。堀田家は、老中を輩出した佐倉藩堀田家につらなる家柄で、下野の一角に幕末になって陣屋を構えた藩です。
武器を献じて恭順
戊辰戦争において佐野藩は、新政府軍に武器を献上するなどして恭順の姿勢を示し、家名を保ちました。小藩ゆえに大きな軍事的役割こそ担いませんでしたが、進んで新政府に協力することで、動乱の時代を無事に乗り切ったのです。時流を見極めた小藩の身の処し方を示しています。
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